私の手相には「島」というものがあって、おそらく26-8歳くらいから何年か停滞時期が続くという相になっている。
何人かに手相を見てもらったとき「もうツラい時期は終わってるよ」という人もいれば、「まだあと少し続くかも」と言う人もいた。
とりたてて悪いこともないが、まだ少し本調子じゃないというか「抜け切れてない」感があるので、これっていつまで続くのだろうと占いをかじってる知人に聞いてみた。
自分でもネットで検索しながら手相の長さを測りつつ、知人とも一緒に掌を見たところ、抜け切るのは34歳か35歳あたりかといったところ。
まだしばらく時間がかかりそうだ。
すべての問題が2017年に集結していた
その後、突然何かを察知したのか、知人は「もしかして、大殺界じゃない?」と私の誕生日を計算し始めた。
すると、見事大殺界のど真ん中!w
しかも、月の運勢も9月が一番最悪で、大殺界ど真ん中「停止」。
さらに、今年は厄年のど真ん中でもある本厄。
手相の「島」だけじゃなく、そもそも厄年と大殺界も重なっていて、物事がスムーズに進まないのはやむなしといった感じだ。
てか、そんな酷い運気だったのに、特に大きな不運にも見舞われてないのが逆にすごい!となり、なんで厄年×大殺界をうまいこと潜り抜けられてるのかを考察してみることにした。
古い自分を殺す時期
大殺界は自分らしさを失う時期と言われており、「自分らしく振る舞わない」ことが不運を避けるコツらしい。
私はこれを素で実行していて、この1年はとくに「古い自分を殺す」「再生」「生まれ変わり」「偽りの自立の皮を脱ぐ」みたいなところを心がけていた。
というか、まわりから隔離された環境が増えあまり話す人がいなくなったり、友人たちのライフステージが変わって予定が合わなくなったり...というようなことが重なって、これまでの明るかったりハイテンションな自分を出す機会が強制的にほぼなくなった。
加えて、初対面の人の前でその「今までの自分らしさ」を出すと敬遠されるようなことも多く、大殺界1年目の時点で早々と路線変更した。
最近では、むしろ積極的に、今まで積み過ぎていた「社交アプリ」をアンインストールして、どんどんマイペースな性格になってきている。
「自分らしさ」を出すことにこだわっていた時期はたしかに苦しかったけれど、切り替えて一人の時間を楽しむようになってからは、平穏な日々を過ごしている。
頑張らない・休むをテーマにしていた
大殺界1年目から心理学を勉強し始め、今までのやり方を手放す時期が来ていることに気づいた。
「頑張る」とか「努力すれば報われる」という考えに縛られ過ぎてすべてが義務感と犠牲の上に成り立ち、燃え尽きた状態になっていたからだ。
脅迫概念のごとく頑張って自身の嫌悪する部分を穴埋めをしようとしていたので、いつまでも自己肯定感が上がらず「努力したり肩書きや結果がないと価値のない自分」になってしまっていた。
人と比較して相対的に勝つことで安堵する「条件付きの自信」しかなく、努力や結果を出すこと、まわりからの評価でしか安心感が得られず、日々過度な気遣いや過剰サービスでヘトヘトになり、ただ存在してるだけの「あるがままの自分」を認める「真の自信」は身についていなかった。
なので、あえて「頑張らない」「脅迫概念で動かぬよう現状維持」を意識し、条件付きの「偽りの自信」を身につけるような行動に出ないよう、意図的にふにゃふにゃな自分のままでいることにした。
それが知らず知らずのうちに、下手に動くことが仇になる厄年や大殺界対策になっていたのだ。
物事の進みが遅くても、焦ってない
この1-2年で新しく始めたこともいくつかあったが、大事に長期的に取り組みたいことほど焦らなかった。
そして、なんとなくゆったりと楽しみながらチャレンジしたいような気分だったので、その感覚に従ってあまり意気込みすぎず過ごした。
最初から準備期間と割り切ってる
最近は「今は少しづつ変化を起こして現状を変えていってる過渡期だから、完全に殻を破り蛹から出て蝶になったときに慌てないように、準備をしておこう」と思うようになった。
忙しくなるとタイムマネジメントも重要になってくるので、余裕のある今のうちに服を買い足しておいたり、骨格診断やカラー診断で自分を魅力的に見せる方法を知っておこうとか、イメチェンして今の30代の自分に似合う髪型を模索していこうとか。
あとは、素敵な人にバッタリ出会ったときのために、外見だけでなく内面も磨いて、以前の自分よりもアップデートしたコミュニケーションが取れるようになりたい。
これらの野望があるので、今の時期の失敗はある程度割り切って「参考材料」として来るべきときのための実験データと捉えている。
データは着々と溜まってきたので、日々PDCAを回して生まれ変わっていく。
おまけ
上記では一般的に誰にでも通用しそうな項目を集めてみたが、自分個人の特殊事情で難を逃れた(?)部分もあったので、一応記載しておく。
小殺界・中殺界の時期が酷すぎた
大殺界の他にも、ちょい運気が下がる小殺界・中殺界というものがあるんだけど、過去を振り返ったらこの時期がどちらも酷すぎて(とくに小殺界)こっちで苦労しすぎて大殺界は大したことない感じで過ぎ去ろうとしてるんじゃないかという風に思えてきた。
小殺界のときは、残念な部署に異動して、パワハラによって会社の先輩が休職し、マトモな人が抜けた状態でパソコンが使えないおじさんたちの世話をするのに疲れ果て、10種類くらいの病気にかかった。
体調不良で風邪気味の状態で、ストレス発散のために飲んでカラオケで叫んだら、声帯ポリープができて入院もした。
中殺界のときは、90歳の大往生だがおじいちゃんが亡くなった。
今までの人生が波乱万丈すぎて、小さな不運をスルーしてる
文章にしてるうちに気づいたんだけど、ツラいこと、それなりにあったかもしれないwww
ただ、小殺界・中殺界を始めとしたこれまでの人生が波乱万丈すぎて、不運を不運と思っておらずスルーしてるようだ。
あとは、過去の停滞してたときの経験から、ちょっとでもうまくいかないと思ったらすぐにやり方を変えたり、変に流れに抗わず身を任せるという「身の振り方」を心得、事態が小さいうちに対策できていたのかもしれない。
いずれにせよ、人生には必ず「冬」の時期がある。
冬って大抵種まいたり何かの準備をしたり、動いてもうまくいかなそうだったら止まったり...そんな風にしてるうちに気づけば過ぎ去ってる。
そして同時に、「流れキてるわ~!!」と何をやってもスイスイ物事が進んで人脈が広がる時期もある。
人生の目的は「自己実現」。
自己実現とは、本来の自分の姿に戻っていくこと。
本来の自分に戻るためには、過去の自分を殺し古い鎧を脱ぎ捨てて、身軽になっていくことが必要だ。
冬の時期は、そんな再生のために充てられる通過儀礼だと思えば、悪いものではない。
P.S.
にしても、星占術では射手座、六星占術では金星人(-)って、私はどんだけマイペースな自由人なんだw
中学生~26歳までは「自分は決められたレールの上に従って生きていく人間だ」と信じて疑わず、射手座の性格の解説を読むたびに「嘘ばっか」と呆れてたけど、ここにきてあながち間違ってないかもwと思う今日この頃。