人生やり直し記

シンガーソングライターHalleyのblog

健康でいるための「怒り」の感情との付き合い方

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私は感情をすぐ抑圧するタイプだ。


本当は短気で毒舌なんだけど、そんな自分が嫌で我慢して我慢して爆発することも多かった。

そんな中でも、大人になってから職場の上司や問題児おじさんたちに激しく怒り狂ったり、一時的に怒りを表現していた時期もあった。

けど、怒るにも体力がいることを知り疲れ果て、いつしか怒ることもやめ、何事にもポーカーフェイスで対処するようになった。


湧いてきた感情は、怖がらず感じてあげるとある程度消えていく。

ただ、それだけでは感情が処理しきれないことも多く、アウトプットできてない部分が内側に残り、自己攻撃となって精神的に弱ったり体調を崩してしまうことも多いように思う。

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人を傷つけ自分は疲れるような怒りのアウトプットをしてしまうのは、非生産的。

でも、処理されなかった感情を何らかの形で処理していくことも必要。

それらをどう健全な方向ににアウトプットしていくか、以前別の記事にもまとめた。

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上記事に付け加えて言うならば素の自分に戻れる場を定期体につくっておくことは必要だと思う。

親友など少人数でのざっくばらんな吐き出しタイム、解毒の場。

価値観が合う人数人との、気を遣わず深い話ができる会合。

そして、ネット上の何を書いてもOKな吐き出し場の確保。


人数が増えれば増えるほど、属性が多岐に渡れば渡るほど、言いづらいことが増えたり、言ったら言ったで一悶着起こったり、相談したいことが他の話題で流れてツラさを抱えたままで終わったり、そもそも発言の機会がなくて存在意味あったのか謎だったりする。

(騒いだり社交が目的の場だったらいいと思う)


たまにはそういうのもいいが、いつもだとさすがに疲れ果ててしまう。

だからとにかく、吐く吐く吐く、書く書く書く...という解毒の場をつくることは、体調管理の上で本当に大事。


毎回愚痴オンリーだと残念な感じだけど、愚痴も含め何でもオープンに語り合う場を定期的にもつことは、健康に生きていくためのコツ。

仏にも神にもならないていい。生々しい人間らしく、感情に身を任せる時間も必要かも。

女性の健康のバロメーターは○○!毎月発表される「自分を大切にできてるか指数」

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最近ブログの更新が滞りぎみだった。

なんで滞るのかと考えてみたら、色んな人が見るようになって、気軽な人生の議事録、つぶやき的要素が減ってきてしまったからだと思う。


ということで、気が向いたときだけSNSにシェアするスタンスにして、ここには個人で勝手に黙々と日々の議事録的なものをつぶやいていくこととする。


突然ぶっこむが、私は10年近く重度のPMSを抱えている。

生理前になると土日は寝たきりで起き上がれないレベル。GWも毎日寝続けていたし、立ち上がれなくて会社も月1で休んでいるので、もしかしたらPMDDの可能性もある。

(引っ越し先付近の婦人科に行って近々改めて聞いてこよう!)


毎回苦しまされているけど、今回のはガチでヤバイので、きっとここ数ヶ月のムリがたたったのだろう。


女性にとって、生理は1ヶ月の総決算のようなもの。

その1ヶ月どう過ごしてきたか、ちゃんと自分に優しくできていたかの結果がダイレクトに返ってくる。


言いたいことはちゃんとその場で人に言えたか。

体力的にムリな予定は断って、ちゃんと休養日をつくれたか。

十分な栄養補給はできていたか。

我慢して人に合わせて行動しなかったか。

いい母・いい妻・いい彼女・いい友達・いい社員などの役割を演じず、どれだけ「本音の自分」で人と関われたか。

そんな「自分のために生きれた指数」が体調という結果で、子宮という上司から毎月発表される。


わたしは、会社を辞めて自分の生業をつくろうと頑張ってた半年間以外、7年くらいずっと惨敗し続けてる。


その場で人の顔色を伺って一時的に難を逃れても(もはやそれが当たり前になりすぎて、空気を読んでることすら気づけない)、流れでそれなりに80%楽しい時間を過ごしたとしても、自分自身への裏切りは、毎月毎月結果として返ってくるのだ。


ちゃんと自分を大切にできてるのだろうか?

そのことを常に念頭に置きながら、また来月のリベンジへ向けてPDCAを練る。


まずは、動けないとしょうがないので、アスリート目指してんの?と突っ込みたくなるような、厳重なサプリメントケアから。
脱・栄養失調!

「万人ウケ」は幻想。全部出し切ったら、本来の自分に応援者が現れる。

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人の目を気にして、嫌われたくないと思うだけでなく、「相手に勝っちゃいけない」「その人の属性に合ったこと言わないと、カルチャーショックすぎてビックリするだろう」「自分が初対面の人に見られがちなイメージに合ったことを言ってあげよう」みたいな変な遠慮や過剰適応から気を遣って、人は本性を隠してしまうことがある。


でも、本性全体のたとえば60%くらいを隠すと、そのイメージが定着して、残りの40%だけで人と接することになる。

すると、その40%のイメージに縛られながら生きることになる。


自分を切り離して生きていくと、上で言うと60%の自分には行き場がなくなり苦しくなって、その部分はアンダーグラウンドで生きていくことになる。

表の世界では40%の「公的仕様」の自分のことが好きな人が集まってくるので、アンダーグラウンドの自分を知ると、失望され去って行ったり、「こんなはずじゃない」と憤慨され攻撃されたりする。


そうすると「あぁ、わたしの残りの60%の部分は悪人なんだ」という思い込みが強まって、どんどんその部分を人に出せなくなっていく。


でも、実際は「万人ウケ」なんてものはこの世にない。
本当にいろんな価値観の人がいる。


だからたぶん、残り60%の自分の特徴にグッとくるタイプの人も老若男女問わずいるだろう。

それがたとえ、自己中とか口が悪いとか、今の自分が考える「好かれる人」の特徴とかけ離れていたとしても。


残り60%の自分を隠すのは、40%の部分だけを好いてくる人を失望させるだけでなく、100%の自分が丸ごと受け入れられるような、本当に楽で自由な人間関係を築いたり、本当に気の合う人たちとより親密になったり、コアなファンをつくることを妨げてる。


自分のどんな側面も、愛する人たちはいる。

ならば最初から媚びないで、100%の自分を出し切ってしまった方が身のため。

遠慮しても媚びても気を遣っても目立たないように色んなところを隠しても、それはそれでバッシングを受けるのだから、やりたいようにやった方がストレスは少ない。





ってことで最後は、言いたいことが言えなくて困った経験があるすべての人が首がもげそうなほどのヘドバンレバルで頷きたくなる、この曲で締めます。

youtu.be


それではー!

人生は資産運用。今あるリソースをワクワクに投資すると、好きなことだらけの人生になる。

数年前に読んで衝撃を受け、人にも勧めまくった本、本田健×バシャールの『未来は、えらべる!』

そこには、ワクワクするようなことをしながら経済的にも精神的にも豊かで幸せになってく人ツラいことを我慢しながら経済的にも精神的にも苦しさを強いられる人の二極化が2015年あたりから広がっていくと書かれていた。

未来は、えらべる! (VOICE新書)

未来は、えらべる! (VOICE新書)


その分岐は2010年頃から始まり、マヤ暦にて世界滅亡が騒がれていた2012年12月23日の時点でどちらの世界にいるかが転換点となる。

その後は、ワクワク世界への電車と苦しい世界への電車の路線は離れていき、どんどん乗り換えが難しくなっていくと言われていた。


スピリチュアル的な言葉を借りると、アセンションしてる人としてない人のパラレルワールド化が加速していくといった感じだろうか。


本を読んだ当時の私は「怪しいけどワクワクする話だな~、まぁ真偽はともかく、仮にこれが真実だとしたら、私はワクワクする方にいきたい」くらいの感覚だった。


それが、時が経てば経つほど自分の似たような考え方の人、表面的ではなくもっと深い「信念」の部分で共鳴できる人との出逢いが増えていき「もしやあの話って本当だったんじゃ」と思いつつある。


また、「こんな風に生きたいなぁ」と思うロールモデル的な人たちとの出逢いも増えてきて、その「人生楽しんでる度」に圧倒されまくっている。


本音で人生を選択し、実際にそれで生活が成り立ってるどころがどんどんやってることの規模が拡大していってる人たちを目の当たりにして、これまで頭でしか理解していなかった「思考は現実化する」「どこにリソースを割くかで人生が変わる」ということが腑に落ちてきた。

二極化が生まれる、ごくシンプルな法則

なぜ二極化が生まれるのか?
自身の経験や「ぶっ飛んでる人たち」の観察の結果、どうやら「怖れ」を選択するか「愛」を選択するかが鍵になっているということが分かってきた。


たとえば、誰かに嫌われる怖れ、将来への不安、みんなに合わせなきゃいけないという思い込みから、どうしてもやりたくないこと・苦手だと思っていることを引き受けたとする。


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最初はうまくできなくても、努力や忍耐によってスキルは上がり知識は増え「それなりにできる」「任せられる」「誘ったら乗ってくれる」「頼んだらやってくれる」くらいの状態にステップアップする。


すると、たとえそれが苦手で嫌いでも、傍から見ると得意で好きだからそれをやってるんだと思われるようになる。


その結果、どんどん依頼は増え、スキル維持のために自己研鑽もしなきゃいけなくなり、その仕事・活動絡みの誘い・人付き合いも増えていく。


給与などの対価を得ても、その道のための勉強に使うことも増えるだろうし、我慢してストレスが溜まっていったら、ヤケ酒・爆買いなどの浪費も増えるかもしれない。


儲かっても好きなことには意外とお金は使っておらず、ストレス解消のためにお金が流れがち。

人脈は増えるけど、ほぼ「付き合い」で大して楽しくないメンツ。ただただ時間を取られるだけ。


そうこうしている間にスキル・知識・経験・人脈は膨れ上がり、それを維持するために時間・お金・労力を投入する日々が続く。


気がつけば毎日が嫌なこと、苦手なこと、苦手な人、嫌いな人で埋まっていて、個性も才能も自分らしさも活かせない。


疲弊しきっていて、本望を開花させる体力も気力も残っておらず、日々嫌なことが人生の中で増大していく。


ただ毎日、人の期待に応え続けて忙しさに追われている。

→体を壊したりうつ病になる。短期的にはお金を稼げたが、結局途中で燃え尽き収入が途絶える。


上記は極端な例だけど、怖れから選択を行いそこに時間・お金・労力というリソースを投入し長期で運用した結果、その「怖れ」という資本が増大するというのは、資産運用などに例えるとごくシンプルかつ当然の結果にも思える。


では逆に、心の中のワクワクや面白さや、嬉しい・楽しい・幸せなどの本音に基づいて選択を行ったらどうなるだろうか。

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なるべくワクワクすることに優先的に時間・お金・労力を投資すると、その分野のスキル・知識・経験値がUPする。

ここまでは怖れを選択したバージョンと一緒。


違うのは、興味をもっていることなので、趣味の時間とほとんど変わらず、休みや気分転換感覚でのめり込み、成長速度が速いこと。
そこから価値が生まれ、最初は小さいながらも対価が発生する。


また、面白いと思った人としか関わらないようにしてるのでストレスも少なく、精神的に安定しているので浪費が減る。


さらに、面白い人から派生して、また面白い人と繋がり、価値観を共有できるコミュニティが広がる。

考え方が似てる人との付き合いが多いので気疲れしづらく、体力・気力が余るので、浮いた時間の有効活用も可能。


ここで余った時間・お金・労力をまた面白いことに投資し、あわよくばコンセプトの合うメンバーで共同企画を立ち上げるなど、ワクワクの輪を掛け算で広げてくこともできる。


半分ネタで始めた面白活動が拡大!
活動について記載したSNSやブログがとある企業の目に留まり、雑誌の取材を受けたり企業から仕事を依頼されたなんて話もちらほら聞く。

→ワクワクベースのビジョンに人・モノ・金・情報が集まり、面白いこと・面白い人・面白い仕事(活動)・面白い誘いが大集合!
そこから雪だるま式に規模が大きくなっていき、事業化など様々な選択肢が広がっていく。


これもまた極端な例だけど、こうやって図示するとあたり前のことすぎて、なぜ今までこんな単純なことに気づかなかった?と笑えてくる。

すでに豊かな人も自分も、やることは一緒

よく「いやいや、あの人は好きなことに割くだけのお金があったから」「もともと才能があったから」とか言う人もいるけれど、上記の法則の面白いところは、どんなにうまくいってる人だろうが、1つ1つの選択に決定権があるところはみんな同じというところ。


1ヶ月にワクワクに使えるお金が5万円なのか5兆円なのか、自分ひとりを幸せにするのかグローバル企業動かしてるのかという「規模」が違うだけで、「怖れ」を選ぶか「愛」を選ぶかっていう地道な選択を積み重ねていることには何ら変わりはない。


ただ、何十年も「愛」の選択を続けてきて豊かさや影響力が蓄積したか、今まさに「愛」の選択を意識し始めたひよっ子かの違いだけ。



お金がない、時間がない。
そんなときこそ、必然的に取捨選択を迫られるチャンス。


これを機に、一人になる怖れから惰性で続けてきた人間関係や、未来への不安に駆り立てられるようにやっていたタスクを手放しすことができたなら、そこに愛が残るだろう。


ダブルブッキングしたうちのどちらの予定に参加するか、なけなしの5000円を何に使うか。
そんな日々の小さな選択が、この先の未来をつくっていく。


自分を愛し労り満たされることで、コップの水が溢れるように他者に貢献する。
蓄積が飽和するその日まで、せっせと自分を喜ばせることをし続けるのみ。




ここでいう愛を「精神レベル」って言葉でわかりやすく説明してる、こちらの本もオススメ☆

わかった!運がよくなるコツ (なでしこ文庫)

わかった!運がよくなるコツ (なでしこ文庫)

  • 作者:浅見 帆帆子
  • 出版社/メーカー: 廣済堂出版
  • 発売日: 2008/11/26
  • メディア: 文庫


「こうあるべき」で行動しすぎて何をしても途中で潰れる。好きなことに向かって行動を起こすには?

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どうも、はるにゃんです。
すんません、超絶久しぶりの更新となりました。


久々にブログでも書こうと思っていた最中、タイミングよくお悩み相談コーナーにご相談をいただいたので、これを皮切りにまた発信を再開していきます♪

あかりさん、いいキッカケをありがとうございます!


では、以下相談内容です。

はじめまして。私は43才で独身、実家暮らしの女です。

稼げるようになりたいと生命保険の営業にチャレンジするもダメ、自己啓発セミナーに通っても何か違うとやめ、そこで占いも学んでいましたが、人集めができない人は資格がとれない、しかも必ず師匠の言うことに従うとか言われて怖くなり辞め、事務職につくもパワハラで体をこわし辞め、またなぜかバカなことに生命保険営業に戻るも、やはりつらくなっては辞め…。

迷走ばかりしています。


今は、何もやる気ができず、慢性膵炎という病気も患っているため、情けないですが親に依存したまま動けずにいます。

在宅で、仕事がしたいとも思いますが、何をしていいかわかりません。

文章を時々ノートやブログに書きますが、うまくはありません。書きたいときと書きたくないときの落差があります。
書くことで気持ちは救われますが。


収入を得たい得なければ、と思い、求人を見ていると、アパレルに興味を惹かれました。しかし、今まで迷走しすぎてるし、また、続かないかも。

私は外見が良くないし年だし…4ヶ月も引きこもりになってるし…と考えてしまい、行動できません。


どうしたら、行動できるのでしょうか?また、どうしたら、自分の得意なことがわかるのでしょうか?

長文、乱文で申し訳ありませんが、アドバイスよろしくお願いいたします。


(ペンネーム:あかりさん)



決定権を持てないまま生き続けると、好きなことが分からない

相談を拝見すると、あかりさんは何かを成し遂げたい人に見えるのですが、一番の問題は自分で自分の好きなこと・やりたいことが分かっていないこと。


幼い頃から決められたレールの上を歩んできましたか?

あまり自分の意思が尊重される環境じゃなかったですか?

誰かに認めて欲しくて、自分の本音は押し込めて、世間的によしとされるもののために身を砕いて歯を食いしばってがんばってきましたか?


「どうしたら得意なことがわかるのでしょうか?」って質問もまた盲点で、たとえ得意なことをやっていても、あまりにも自分の意思と裏腹なことをやっていると、いとも簡単に潰れます。


得意→人の期待に応えられる→好きじゃないけど辞められない。得意がゆえに結果が出てしまい、まわりからの要求レベルがどんどん上がっていく…

という負のスパイラルにはまっていきます。


なので、苦痛なくムリなく息を吐くようにできることを探すという観点で考えていくのがいいと思います。

「こうするべき」の呪縛が強い

あとは「こうするべき」の呪縛ですね~。

たくさん稼ぐべき、バリバリ働いて自己実現する自立したカッコイイ女性であるべき...

など色々な呪縛にがんじがらめになって生きてきて、今現在も「たとえ持病があったとしても、実家には頼らずがんばるべき」「40代はこうあるべき」「アパレルに携わるアラフォーは美魔女であるべき」(推測含む)など色々な「べき」に縛られて苦しくなっているように見受けられます。


もともと、稼げるようになりたいと思ったキッカケは何だったのでしょう?

たくさん稼ぐ必要はあるのですか?

たとえ収入が低くとも、ご自身がムリなくできるような仕事内容で、安定的に収入を得られる仕事をするのではダメでしょうか?
(歩合制や成果収入のようなものにこだわりか感じられたので)

それで心が平和かつ健全に生きていけるのなら、それも尊いことだと思います。


また、「こうあるべき教」の一番怖いところは、自分の意思で動くことから長い間離れすぎてしまっていて、そもそも自分がどうしたいのか、何か好きなのかすらよくわからなくなってしまっているところです。


まずは、意識して食べたいものを食べる、寝たいときは遠慮なく寝る、本やネット、テレビのニュースなどを見て自分なりの意見を書き留めてみるなど、小さなところから自分自身のジャッジメントというものを取り戻していくことをオススメします。

「自己実現」と「生活のために稼ぐ手段」がごっちゃになっている

生命保険営業しかり占いしかり、うまくいけばウハウハですが、うまくいくまでは収入は得られません。
(生保はたまに固定給+歩合のものもありますが...)

稼げるようになるためには集客等かなりがんばって地道に積み上げていく必要のあるものを今まで経験なさってるように思います。


これらの個人事業主的な仕事って実際、好きじゃないと続きません。

その業界やコンテンツが好きかということはもちろん、それ以上に日々の地道な活動を作業ベースで愛せるかどうかがキモです。


個人で収入を得ようと思ったら、何をするにもまず集客というものは外せないと思います。

ただ、会社員の仕事のように「こうやってください」ということを会社で指示されるようなものでなければ、集客のやり方は自分で選ぶことができます。


たとえば同じ占いでも、街角で「手相見ますよ~!」みたいに体当たりで話しかけたりする感じなのか、毎日ネットで情報発信して、ニーズのあるお客さんが向こうからやってくるように仕組みをつくるのかによって、日々積み重ねていく作業はまったく異なるものになります。


文章を書くのが苦手で、自分のネットワークを活用したりそのへんにいる人に話しかけて人脈をつくる方が楽にできる、営業トーク大好き!みたいな人は前者が向いてるだろうし、後者をやり続けたら憂鬱になるかもしれない。


逆に、ゴリ押しするのが苦手だったり、内向的で人に自分から話しかけるのが苦痛、そもそも友だちの数も少ないし人脈もないわ!みたいな感じだと後者の方がよいでしょう。

まぁ、そもそもこの2つの中から集客手段を選ぶ必要もなくて、方法も無限にあるはずですが・・・。


また、たとえ自分に合った手段が見つかったとしても、いずれにせよ生活できるだけの収入を得るためには時間がかかります。


そもそも、すでに軌道に乗ってる事業に参加してその一部の作業を時間で請け負う「従業員の仕事」とは根本的に中身が違い、会社員として同じ金額を稼ぐよりも難易度も高い場合が多いので、実績を積み上げるまでには多大な時間と労力がかかります。


だから、もし何らかで自己実現をしようと思うのであれば、一攫千金を狙わず、粘りづよく一生涯のライフワークとしてできるもの、作業ベースで苦にならないものにじっくりと取り組んでいくのがいいのではないでしょうか。


それが何なのかを知るために、色んなことにチャレンジしてみて、失敗も含めPDCAを回していくのは価値があると思います。


で、結局何が言いたかったというと、ここでの課題は「何かを何遂げたい」という気持ち直近の生活のために収入を得る仕事の認識がごっちゃになってしまっているところだと思います。


「ライフワークは積み上げていくもの」と認識し、いきなり自己実現的なもので生きていくための収入を得ようとせず、まずは経験がありムリなくできる生活手段を確保した上で、これからのビジョンというものを描いていくのが現実的ではあります。


あかりさんの現状からいくと、まずは生きていくための最低限の生活費の確保、いきなり高い収入を得ようとしてキツイ仕事に就かないために(実家にいることも含めた)生活水準を下げるための工夫。

このあたりが先決なのではないでしょうか?


体調が安定したり自己実現やキャリアアップに向けて何かできる余裕ができたら、また色々取り組んでみればいいと思います。仕事は続けたまま。

できないものはできない!嫌われてもいい精神で

ってこれからのライフワークや自己実現的な話もしましたが、何かアクションを起こしても、そこでまたモラハラみたいな人につかまったらどうしよう!みたいな不安もありそうですよね。


モラハラ的な人の影響を受けてしまうのには、やはり自己肯定感の問題があると思います。


人から拒絶されることや見捨てられることへの不安があったり、反対意見や批難に怯えたり、みんなと同じような道を歩んでなきゃどう思われるか怖かったり…


そういう思いがあると、相手を上に置いて自分はへりくだったり、否定されないために相手に合わせたりしてしまい、そのビクビクした態度が相手のいじめっ子根性に火をつけ、モラハラ野郎に豹変させます。


モラハラ野郎に豹変せず、その人から直接攻撃されなかったとしても、気に入られるために不本意なことを続け、方向性を誤り、やがて潰れたり仕事や事業がうまくいかなくなります。

他者に攻撃されるか自己攻撃に走るかだけの違いです。


こうなる原因は自己肯定感が低いから、つまりはありのままの自分を認める自己受容ができていないからです。


どうしてもムリ、やりたくないことはできなくていい。

やりたいけどまだ不得意なことは、現状これしかできなくても仕方ない。これから頑張ればいい。

「過去」や「自分の力じゃ変えられないもの」はしょうがない。現状を受け入れた上で、これからのベストな道を模索していこう。

人から拒絶されても、断られてもいい。考えをわかってもらえなくてもいい。一人でも共感者がいれば儲けもん。ラッキー☆


それくらいの気持ちで構えて、罪悪感や自己嫌悪の気持ち(自意識)を手放し、自分に向けていた意識を相手に向けられるようになれば「あ〜この人も悩んでんだな〜。さっきの暴言も、この人自身の問題かも」

とか気づける部分が広がって、あんまり相手の反応が気にならなくなります。


そして、他人の意見に振り回されて迷走したり、他人の承認を得るために余計なことをしなくて済むので、自分がどうしたいかが分かるようになってきます。

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え


目指せ、精神的・肉体的にゆとりのある暮らし

在宅で働きたいというのを見て思ったのですが、本当は体を気遣いながら家でゆっくりする時間も持てるような無理のない暮らしがしたいのかな〜とちょっと思いました。


もし働きに出るとしても、このような本音を大切にしながら、現実的に継続可能な手段を考えるのがいいのかもしれませんね。


あと、「そろそろ働かなきゃ」とか「行動したい」ともおっしゃってましたが、あまりやる気が出ないうちはやらないというのもひとつの手だと思います。


まだ現状維持できてるということは、頼れる人がいたり切羽詰まった状況ではないということでしょうし、自分をいたわって動きたくなったら動けばいいのではないでしょうか。


義務感で動こうとしてるうちは変な方向へ行ってしまうし、今までも色々なことにチャレンジしてきたように、挫折や辛い時期があっても、またどこかのタイミングでアクションを起こしていけそうだと思います。


こうやってメール送ってくださったり、実際に行動をしだしてるわけだから、そろそろ「動くぞ」って波はきそうですし。


ぜひ、今度は「〜せねば」で動かず、ワクワクや楽な感じ、居心地のよさ、やりやすさでネクストアクションを起こして欲しいと思います。


以上、アパレルの件は盛大にスルーし、どうしたら行動できるのか、得意なこと見つけたいという質問をガッツリ無視して勝手に個人的な持論に結びつけましたw


雑ですが、あかりさんや、あかりさん系のお悩みの人に関係ありそうな別記事をざっくりピックアップしました。
よかったら読んでみてください☆


www.clear-scent.com

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沈潜してた3ヶ月の間に人格が変わったのか、文体やキャラが微妙に変わってしまってたらすんません。


はるにゃんってこんな奴だったっけ?

そうなんです、これもわたしなんで。自己受容、自己受容。

あふれ出す熱いパトスが爆発!イライラを情熱に変える方法を本気出して考えてみた。

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あけましておめでとうございます、はるにゃんです。

年末、なんだかよくわからないモヤモヤにさいなまれ、脳内に思考がループして眠れない、やりたいことはたくさんあるのに無気力でやる気が出ないなどの症状に悩まされていたので…

ひとまず、ひとりカラオケにいってきました。

そしたら、中途半端に1時間だけ歌ったせいでよけいにモヤモヤが激高してしまい、翌日に3時間ひたすら激しい曲をノリノリで歌い狂うというリベンジsingをするはめになってしまったよ。これは事件だ。

人生は、エネルギーをどこに向けるかで決まる

でも、この状態は悪いことばかりではない。

本当に望んでるところ・健全な方向に情熱の矛先をうまく向けられれば、大きなパワーにも変えることができる。


ということで、熱量放出・モヤモヤ解消にふさわしい、健全にエネルギーを放出できそうなものをピックアップしてみた。

ライフワークを生きる

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仕事・趣味・お金になる・お金にならないかかわらず、好きなことに全力で打ち込むのは、もっとも健全なエネルギーの使い方。


ただ、メンタルブロックが多かったり罪悪感・無価値感がつよいと、そもそもここにまっすぐ向かっていくところまで辿りつくのが大変。


好きなことだと思い込んで使命感満載でやってることが、実は補償行為(罪悪感を隠すためにやってる、一般的に賞賛されそうな活動)だったりするので、これから挙げる4つの例と比較して一番ハイレベルかもしれない。

スポーツ

スポーツがライフワークという人もいると思うけど、そうじゃない人にもオススメ。

わたしなんかは趣味が音楽なので、3時間歌い続けても4時間ピアノ弾きつづけても、使う体力といったら知れたもの。


好きなことで発散してもなおエネルギーが余ってしまうとき、モヤモヤがあまりに溜まりすぎていて文化系の趣味じゃ発散しきれない場合など、もう、強行手段として体を疲れさせてしまうというのもひとつの手。


スポーツをやってる間は余計な思考のループも減って無心になれるし、夜も疲れてすぐ眠くなってしまうので、イライラによる不眠の対策にもなる。


また、たとえライフワークと関係なくても、スポーツに関しては適度にとり入れれば健康にもよく、日常生活のパフォーマンスも上がるので、「ムダなことに時間を費やしてしまった!」という後悔が起こりづらい。


補償行為で爆走する防止策としても「とりあえず走ってから考える」「とりあえず筋トレしてから考える」はとり入れたいところ。

思考のループをとめるために、まずは脳みそを筋肉に!


定期的に人と会話をする

「その松坂みたいな豪速球、受けとめられる人いるの?」

これは野球の話ではない。飲み会での1コマである。


なぜ、(とくに大人数の)飲み会でいつもハイテンションでハッスルしてしまうのか…
それについてかれこれ10年間くらい自問自答してきた。


いろんな説があるけれど、まぁざっくりまとめると、結局はエネルギーの放出先が足りなすぎてぶつけ先をつねに探してて、ぶつけやすい&ぶつけても「無礼講」「酔ってたから」で比較的許される飲み会に全力投球してしまってるのだろう。


逝きすぎないために大切なのは、こまめに人と接する機会をつくってガス抜きをしておくこと、エネルギーの放出先を複数多めにつくっておくこと(3rdプレイス、4thプレイス必須!)、それらのコミュニティに自分に合ったスタイル・頻度で参加すること。


わたしは早寝早起きタイプなので、生活リズムを崩さないカタチで人とのかかわりを増やし、エネルギーの放出先を増やすのがよさそう。

あと、お酒にめっぽう弱いので、酒量はひかえめで。


これからは空回りしないように、毎回集まりに参加する前に10000メートルをキロ3分ペースで走って疲れきってから合流するよう務めたい。


文章によるアウトプット

人との会話が口頭でのアウトプットなら、文章によるアウトプットも有効な手段。

プログやツイッターに思いの丈をぶちまけて、エネルギー便秘を解消しよう!


瞑想と似たような効果を得たり、思考の整理にも役に立つと個人的には思っている。

瞑想

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目をつぶって座禅を組む本格的な瞑想から、キャンドルを見つめるもの、上の記事のような紙に書き出すものまで様々なタイプの瞑想法がある。


どれがいい・悪いというよりも、思考のループをとめて顕在意識の雑念を減らす時間(=潜在意識・無意識などの本音がひょっこり顔を出す時間)をつくってあげることが大事。
効果もまずまず。

何かに熱中してないと危険な人物

勉強、スポーツ、仕事…etc.

望む方向に進んでたかどうかは微妙だけど、ずっと何かしらに熱中してきた人生だった。


瞑想する間もないくらい激しく迷走してきたけど、とりあえず今健康に生きてはいるし、とり返しのつかないことにはなってない(?)ので、ひとまず事なきを得るにはよかった…のか!?


とりあえず分かったことはエネルギーを健全な方向に扱えるようになるには、成熟と鍛錬が必要だということ。日々精進するのみ。

ライフワークで「真実の人生」を。人からもお金からも愛される幸せな生き方へのシフト♡

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こんにちは、はるにゃんです。
前回のブログにも書いたように、10月下旬に行ったライフワーク系のセミナーで大きな気づきを得ました。

そこから、そのセミナーの元ネタとなっていた本田健さんの「ライフワーク」で豊かに生きるを読んで、さらに深く納得。腹落ちしました。

「ライフワーク」で豊かに生きる (サンマーク文庫)

「ライフワーク」で豊かに生きる (サンマーク文庫)


今回は、それらから得た気づきについてシェアしようと思います。

ライフワークは「仕事」や「稼げること」でなくてもいい

わたしが聞いて一番気持ちが楽になったのが、ライフワークは「稼げること」でなくてもいいということ。


趣味に近い活動やボランティア、専業主婦などがライフワークの人もいて、すぐお金になるかどうかよりも、自分が何をやりたいかが大切。


また、どんな風に生きたいか、どうありたいかという「自分らしさの要素」が先にあって、それを満たす活動がライフワークであるということ。

これを聞いてすごく気持ちが楽になり、肩の力が抜けました。


ライフワークが稼げることでない場合や、稼ぐのに時間がかかることの場合は、それを支えるための適職があり、それを「ライスワーク」と言うそう。

こちらのブログともちょっとつながるところがあるかもしれません。

www.clear-scent.com


今、ライスワークをやって生きてるなぁと若干ヘコむ人もいるかもしれませんが、人はあまりにも自分の適性とかけ離れたことをしようとすると心身を痛め、活動をつづけることができないもの。

たとえそれがレールに従った道だったりライスワークであっても、ほとんどの人が今、ライフワークからそこまで外れてないところを生きているのです。


そこからさらに

・才能(自分らしさ)を活かす
・人生のテーマ
・生涯つづけたいこと

という視点を加えることによって、よりライフワークに近づいていくのでしょう。

ライフワークは、自分らしさ(才能)を表現し、人とわかち合う生き方

上で紹介した本田健さんの本によると、ライフワークとは自分の中にある「幸せの源泉」から湧き出る情熱を使って自分らしさを表現し、まわりとわかち合う生き方とのこと。


生まれ変わってもやりたい、お金を払ってでもやりたい、人から賞賛されなくとも自己完結でやってても楽しい。

そんなことをやっているときは社会からの承認や経済的成功はどうでもいいので、もちろん特別な才能も必要ありません。

その活動を本人が心から楽しんでいて、「幸せの源泉」にアクセスできているかどうかが最も大切なようです。

「幸せの源泉」とは

「幸せの源泉」とは、そこにつながるだけで本人が幸せになれるような、その人らしい本質で静かなワクワクを感じ、つきることない情熱のある場所。


要は、疲れを感じず、時がたつのを忘れてしまうくらい熱中でき、自分で自分を満たせるような行為・興味の対象のこと。


それまでは疲れやすかったりすぐ風邪をひいていた人でも、ライフワークをやりだしたとたん疲れ知らずになることも多いようです。


そんな「幸せの源泉」にアクセスし、自分の内面からあふれる情熱を表現することがライフワークを真に生きている状態とのこと。

自分らしさを表現していくと、人にもお金にも愛される

その人が今やってることを心から楽しんでいると、自然とまわりにいい影響を及ぼし、自分自身が癒されるだけでなく、まわりの人も幸せな気分になったり癒されたりする模様。

「人のため」という名目で何かすることが貢献だと思っていたわたしには、目からウロコ。


「幸せの源泉」に繋がってる人と一緒にいると気持ちがよく、温泉につかりにくるように人が引き寄せられてくるんだとか。

たしかに、自分のまわりにいる好きなことをやってる人は、「自分の世界」に没頭しているにもかかわらず、人気者が多いです。


自分の大好きなことをやっていると、それを応援してくれる人や、サポートしてくれる理解者が現れ、最初に活動しはじめたころはその存在すら知られていなくても、やり続けていると一人、二人とファンが増えていくらしいです。

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また、自分が大好きなことをやってそれを多くの人と分かち合っていると、エネルギーが循環して、なんだかんだ生きていくのには困らず豊かに生活できたりするよう。


ライフワークとお金には直接なんの関係もないけれど、ライフワークに携わって真実の人生を生きた方が、お金は引き寄せやすいそうです。

それをやろうと考えたとき「怖い」と感じるものがライフワーク

ライフワークは、それが本音に近ければ近いほど怖れを感じるものらしい。

たとえそれがいい変化だったとしても、人は「ホメオスタシス」という現状を維持する性質によって変化を怖れるからです。


「成功への怖れ」は「死の怖れ」に匹敵するくらい大きいと言われており、人生が悪くなるのも怖いけど、人生がよくなるのはもっと怖いもの。


その背景には、幼少期から刷り込まれてきた価値観も大きく影響している可能性があります。

本の中に「好きなことをしちゃいけない星の下に生まれた人」の話が出ていたのだけれど、わたしもずっと同じような呪縛にかられていました。


親の期待やそれに応えたくない罪悪感から、行きたい道に進めず、ライフワークを生きるのに二の足を踏んでしまう。

本意じゃない道でうっかりうまくいってしまって、どんどん引き返せなくなって、王道コースを歩みつづけるはめになってしまう…というのは、よくあることのようです。


家族や世間との間に健全な境界線を引いて、「自分らしく生きることは悪いことではない」と観念を書きかえることがライフワークを生きる上では必須のようです。


このように、一歩踏み出して自分らしさを表現することはとても怖いことなのだけど、リスクを冒して自分らしさを表現していくと、人間関係やパートナーシップ、お金に恵まれるなど、神様からのごほうびが色々とある模様。
チャレンジする価値はありそうです。

ライフワークと間違えやすい「偽ライフワーク」

罪悪感と同じくらい厄介なのが無価値感。

「自分には価値がない」という無価値感によって、人助けをすることで自己重要感を満たそうとするケースは、とても多いです。

これを本書の中では「偽ライフワーク」と呼んでいました。


大事なのは、その活動をやる動機が純粋な喜びかどうか。

「ライフワーク」と「社会的に評価される活動」は別物で、「これが使命だ」と自分を駆り立てて行動しても、そういうやり方ではしばらくすると苦しくなります。


偽ライフワークをやると、尊敬はされるけど幸せにはなれません。
どれだけ社会に評価されたりお金をもらっても、自分の魂は救われないからです。


でも、単純に「これをやりたい」と思ってやっている本物のライフワークは、自分も周りも幸せになり、尊敬よりも共感を得ます。


使命感に駆られるよりも、自分を許し、好きなことをやる許可を出し、幸せの波紋を広げていった方がよっぽど人助けになるというのは、大きな気づきでした。


使命感による行動は、義務と役割にはまりやすい

使命感をモチベーションにする「偽ライフワーク」は、義務感や役割にはまりやすいのも特徴です。


いつも何かに駆り立てられているので焦りがあり、たとえすばらしいビジョンがあっても、自分の生活やまわりの人との関係を犠牲にしがち。


ライフワークは自分を含め、人を幸せにする活動。

好きなことをやっているはずなのに苦しい人は、そこが幸せの源泉ではない、もしくはやり方がライフワークにそぐわないのかもしれません。


「ワクワク中毒」による衝動のワナに陥らず、自分を見つめる

真剣に人生を変えようと思ったら、まとまった時間をとり、自分と向き合う必要があります。

また、自分らしさを見出す作業は孤独になったり静かにひとりで考える時間が多いので、自分の中の暗い側面を見なければいけないこともたくさんあります。


そんな面倒なことよりも、世の中にはたくさん楽しいことがあるので、つい現実から目をそらすために次々と刺激を追い求めてしまいがち。


次々に人と会う、次々と企画を立ち上がる。手段が目的化する。
…で、本当の目的ってなんだっけ?


「自分の人生」を生きようとすると、今までの反動や自分と向き合う怖れによって、しばしばこのような状況に陥ります。


これらのワナを乗り越えて、いったんひとりになり自分と向きあう勇気をもつこと。

そして、感情をとり戻し、エゴの声に惑わされず心の声を聴けるようになることが重要だと感じました。

「真実の人生」を生きるために

なんで進みたい方向に素直に進めないんだろう…?
そう思うとき、「まぁ、行動できないってことは大してやりたくないことなんだろうな」と自分を納得させ、目の前のやるべきことだけに全力投球しがち。


でも、それは人生のあらゆるワナにはまっていることが原因。


なんで今までライフワークを生きてこなかったんだろう、もっと若いときに気づきたかった、もう手遅れだ…「幸せな子ども時代」を過ごしていたら、今ごろすでにライフワークを生きていてお金にもパートナーにも恵まれていたはずだ。

これを読んで、そんなことを思うかもしれません。


実際わたしもそう思いましたし、現に30年近く一緒に過ごしてきた幼馴染たちが皆、小さい頃から好きなことをやって生き、早いうちに自己実現し、若いうちにパートナーとめぐり合い結婚していく様子を傍目で見てきました。


わたしも彼女たちのように早くから素直に好きなことに向かえていたら、もっとはやく色々なことに満足でき今ごろ結婚もしていたかもしれないと何度も思いました。


でも、それに対する本の回答は、最大限がんばってきたのが今の自分で、様々なしがらみの中ベストを尽くしてきたのだということでした。

もしかしたら、あなたの人生においてはこれが最短だったのかもしれません。
無理ゲーの中結構がんばってここまでこれた、徳を積んだ魂なのかもしれません。


人生90年。今までできていなかった自分を責めず、気づいた今が一番若いときと思って、お互い歩んでいけたらいいですね☆