こんにちは、はるにゃんです。
前回のブログにも書いたように、10月下旬に行ったライフワーク系のセミナーで大きな気づきを得ました。
そこから、そのセミナーの元ネタとなっていた本田健さんの「ライフワーク」で豊かに生きるを読んで、さらに深く納得。腹落ちしました。
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今回は、それらから得た気づきについてシェアしようと思います。
ライフワークは「仕事」や「稼げること」でなくてもいい
わたしが聞いて一番気持ちが楽になったのが、ライフワークは「稼げること」でなくてもいいということ。
趣味に近い活動やボランティア、専業主婦などがライフワークの人もいて、すぐお金になるかどうかよりも、自分が何をやりたいかが大切。
また、どんな風に生きたいか、どうありたいかという「自分らしさの要素」が先にあって、それを満たす活動がライフワークであるということ。
これを聞いてすごく気持ちが楽になり、肩の力が抜けました。
ライフワークが稼げることでない場合や、稼ぐのに時間がかかることの場合は、それを支えるための適職があり、それを「ライスワーク」と言うそう。
こちらのブログともちょっとつながるところがあるかもしれません。
今、ライスワークをやって生きてるなぁと若干ヘコむ人もいるかもしれませんが、人はあまりにも自分の適性とかけ離れたことをしようとすると心身を痛め、活動をつづけることができないもの。
たとえそれがレールに従った道だったりライスワークであっても、ほとんどの人が今、ライフワークからそこまで外れてないところを生きているのです。
そこからさらに
・才能(自分らしさ)を活かす
・人生のテーマ
・生涯つづけたいこと
という視点を加えることによって、よりライフワークに近づいていくのでしょう。
ライフワークは、自分らしさ(才能)を表現し、人とわかち合う生き方
上で紹介した本田健さんの本によると、ライフワークとは自分の中にある「幸せの源泉」から湧き出る情熱を使って自分らしさを表現し、まわりとわかち合う生き方とのこと。
生まれ変わってもやりたい、お金を払ってでもやりたい、人から賞賛されなくとも自己完結でやってても楽しい。
そんなことをやっているときは社会からの承認や経済的成功はどうでもいいので、もちろん特別な才能も必要ありません。
その活動を本人が心から楽しんでいて、「幸せの源泉」にアクセスできているかどうかが最も大切なようです。
「幸せの源泉」とは
「幸せの源泉」とは、そこにつながるだけで本人が幸せになれるような、その人らしい本質で静かなワクワクを感じ、つきることない情熱のある場所。
要は、疲れを感じず、時がたつのを忘れてしまうくらい熱中でき、自分で自分を満たせるような行為・興味の対象のこと。
それまでは疲れやすかったりすぐ風邪をひいていた人でも、ライフワークをやりだしたとたん疲れ知らずになることも多いようです。
そんな「幸せの源泉」にアクセスし、自分の内面からあふれる情熱を表現することがライフワークを真に生きている状態とのこと。
自分らしさを表現していくと、人にもお金にも愛される
その人が今やってることを心から楽しんでいると、自然とまわりにいい影響を及ぼし、自分自身が癒されるだけでなく、まわりの人も幸せな気分になったり癒されたりする模様。
「人のため」という名目で何かすることが貢献だと思っていたわたしには、目からウロコ。
「幸せの源泉」に繋がってる人と一緒にいると気持ちがよく、温泉につかりにくるように人が引き寄せられてくるんだとか。
たしかに、自分のまわりにいる好きなことをやってる人は、「自分の世界」に没頭しているにもかかわらず、人気者が多いです。
自分の大好きなことをやっていると、それを応援してくれる人や、サポートしてくれる理解者が現れ、最初に活動しはじめたころはその存在すら知られていなくても、やり続けていると一人、二人とファンが増えていくらしいです。
また、自分が大好きなことをやってそれを多くの人と分かち合っていると、エネルギーが循環して、なんだかんだ生きていくのには困らず豊かに生活できたりするよう。
ライフワークとお金には直接なんの関係もないけれど、ライフワークに携わって真実の人生を生きた方が、お金は引き寄せやすいそうです。
それをやろうと考えたとき「怖い」と感じるものがライフワーク
ライフワークは、それが本音に近ければ近いほど怖れを感じるものらしい。
たとえそれがいい変化だったとしても、人は「ホメオスタシス」という現状を維持する性質によって変化を怖れるからです。
「成功への怖れ」は「死の怖れ」に匹敵するくらい大きいと言われており、人生が悪くなるのも怖いけど、人生がよくなるのはもっと怖いもの。
その背景には、幼少期から刷り込まれてきた価値観も大きく影響している可能性があります。
本の中に「好きなことをしちゃいけない星の下に生まれた人」の話が出ていたのだけれど、わたしもずっと同じような呪縛にかられていました。
親の期待やそれに応えたくない罪悪感から、行きたい道に進めず、ライフワークを生きるのに二の足を踏んでしまう。
本意じゃない道でうっかりうまくいってしまって、どんどん引き返せなくなって、王道コースを歩みつづけるはめになってしまう…というのは、よくあることのようです。
家族や世間との間に健全な境界線を引いて、「自分らしく生きることは悪いことではない」と観念を書きかえることがライフワークを生きる上では必須のようです。
このように、一歩踏み出して自分らしさを表現することはとても怖いことなのだけど、リスクを冒して自分らしさを表現していくと、人間関係やパートナーシップ、お金に恵まれるなど、神様からのごほうびが色々とある模様。
チャレンジする価値はありそうです。
ライフワークと間違えやすい「偽ライフワーク」
罪悪感と同じくらい厄介なのが無価値感。
「自分には価値がない」という無価値感によって、人助けをすることで自己重要感を満たそうとするケースは、とても多いです。
これを本書の中では「偽ライフワーク」と呼んでいました。
大事なのは、その活動をやる動機が純粋な喜びかどうか。
「ライフワーク」と「社会的に評価される活動」は別物で、「これが使命だ」と自分を駆り立てて行動しても、そういうやり方ではしばらくすると苦しくなります。
偽ライフワークをやると、尊敬はされるけど幸せにはなれません。
どれだけ社会に評価されたりお金をもらっても、自分の魂は救われないからです。
でも、単純に「これをやりたい」と思ってやっている本物のライフワークは、自分も周りも幸せになり、尊敬よりも共感を得ます。
使命感に駆られるよりも、自分を許し、好きなことをやる許可を出し、幸せの波紋を広げていった方がよっぽど人助けになるというのは、大きな気づきでした。
使命感による行動は、義務と役割にはまりやすい
使命感をモチベーションにする「偽ライフワーク」は、義務感や役割にはまりやすいのも特徴です。
いつも何かに駆り立てられているので焦りがあり、たとえすばらしいビジョンがあっても、自分の生活やまわりの人との関係を犠牲にしがち。
ライフワークは自分を含め、人を幸せにする活動。
好きなことをやっているはずなのに苦しい人は、そこが幸せの源泉ではない、もしくはやり方がライフワークにそぐわないのかもしれません。
「ワクワク中毒」による衝動のワナに陥らず、自分を見つめる
真剣に人生を変えようと思ったら、まとまった時間をとり、自分と向き合う必要があります。
また、自分らしさを見出す作業は孤独になったり静かにひとりで考える時間が多いので、自分の中の暗い側面を見なければいけないこともたくさんあります。
そんな面倒なことよりも、世の中にはたくさん楽しいことがあるので、つい現実から目をそらすために次々と刺激を追い求めてしまいがち。
次々に人と会う、次々と企画を立ち上がる。手段が目的化する。
…で、本当の目的ってなんだっけ?
「自分の人生」を生きようとすると、今までの反動や自分と向き合う怖れによって、しばしばこのような状況に陥ります。
これらのワナを乗り越えて、いったんひとりになり自分と向きあう勇気をもつこと。
そして、感情をとり戻し、エゴの声に惑わされず心の声を聴けるようになることが重要だと感じました。
「真実の人生」を生きるために
なんで進みたい方向に素直に進めないんだろう…?
そう思うとき、「まぁ、行動できないってことは大してやりたくないことなんだろうな」と自分を納得させ、目の前のやるべきことだけに全力投球しがち。
でも、それは人生のあらゆるワナにはまっていることが原因。
なんで今までライフワークを生きてこなかったんだろう、もっと若いときに気づきたかった、もう手遅れだ…「幸せな子ども時代」を過ごしていたら、今ごろすでにライフワークを生きていてお金にもパートナーにも恵まれていたはずだ。
これを読んで、そんなことを思うかもしれません。
実際わたしもそう思いましたし、現に30年近く一緒に過ごしてきた幼馴染たちが皆、小さい頃から好きなことをやって生き、早いうちに自己実現し、若いうちにパートナーとめぐり合い結婚していく様子を傍目で見てきました。
わたしも彼女たちのように早くから素直に好きなことに向かえていたら、もっとはやく色々なことに満足でき今ごろ結婚もしていたかもしれないと何度も思いました。
でも、それに対する本の回答は、最大限がんばってきたのが今の自分で、様々なしがらみの中ベストを尽くしてきたのだということでした。
もしかしたら、あなたの人生においてはこれが最短だったのかもしれません。
無理ゲーの中結構がんばってここまでこれた、徳を積んだ魂なのかもしれません。
人生90年。今までできていなかった自分を責めず、気づいた今が一番若いときと思って、お互い歩んでいけたらいいですね☆