人生やり直し記

シンガーソングライターHalleyのblog

【歌詞解説】絶望の淵に立った小学生が、死なないために作った曲『今を好きになれなくて』

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こんにちは。「絶望の中の希望」をテーマに楽曲制作をしている、シンガーソングライターのHalleyです。

もともと作詞がしたくて音楽を始めたこともあり、私の作る曲には意味深な歌詞が多いです。笑


よく色々なアーティストさんの歌詞を「どういう意味なんだろう・・・?」とファンの方々で解釈して楽しんでるシーンをWeb上などで見かけますが、アーティスト本人が解説してるものというのはあまりないと思います。

「曲を作るときって一体どんなこと考えてるの?」

「どういうときにインスピレーションが湧くの?」

そんなことを聞かれることも多いです。


私はせっかくこうしてブログなど文章で発信する活動をしているので、定期的に「歌詞解説ブログ」なるものを書いてみることにしました。

創る人の頭の中がどうなっているのかというご参考までに見ていただければと思います。


音源化してる曲の中で、幼少期に作ったからものから順番に紹介していきます。

今回ピックアップする曲は小学校6年生のときに作った曲『今を好きになれなくて』

まずは歌詞をご覧ください。


_________________

『今を好きになれなくて』

作詞・作曲 Halley


ふいに最近 ときが経つのが
速くなってるような気がした
生きていること やっていること
すべてに意味を 感じはしない

もう何も望まない
誰かと心通じたなら
ここにいる証が欲しかった
幻とともに消えてゆくように
今を好きになれなくて 逃げ出した夜に

ふいに最近 人と接することが
苦手になった気がした
気まずくなって 話題とぎれて
無口になって 離れ去ってく

私たちが出逢ったとき
はじめて話したときのこと
思い出したら優しくなれた
幻とともに消えてゆかずに
今を好きになるために 何をすればいい?

決してもどることはない
一瞬(いっとき)の宝物
ここから何を選んでいこう

もう何も望まない
誰かと心通じたなら
ここにいる証が欲しかった
幻とともに消えてはゆかず
今を好きになるために 何ができるだろう?

今を好きになれなくて 逃げ出した夜に

_________________


小学生の頃、親の仕事の都合で岩手に転校したのだけれど、転校先の人間関係や田舎暮らしにうまく順応できず、毎日「地元に帰りたい」と思いながら過ごしていた。


4年間泣きながら過ごして、やっと待ちに待った帰郷。

元々住んでた場所で知り合いも多くて、楽しみしかなかったのだけれど、実際戻ったらタイムラグを感じてしまい、友人達とぎくしゃくしてしまうことも多かった。


自分のホームは神奈川で、3歳くらいから一緒に過ごした友人達こそが「幼なじみ」だと思っていたのだけれど、ある日古くからの友人に「幼なじみっていうのは、ずーっと一緒に過ごしてきた人のことを言うんだよ」と言われた。


途中中抜けしていて4年間を別の場所で過ごした私は「幼なじみ」の定義には当てはまらないということだった。

その言葉にショックを受け、空白の4年間を呪った。


実際、ずっと帰りたかった地元に帰ってみたものの、自分の参加していない林間学校の話や様々な想い出話などが話題に上る度、皆と共通の体験がないことへの孤独感を感じていた。


また、とある友人と揉め事があった際、学校の先生から一方的に悪者にされクラスのホームルームなどで吊るし上げられたことがあった。


実際は親同士のトラブルなども絡んでいて事情は複雑だったのだけど、そのようなことは一切考慮されず、先生が私の言い分を聞いてくれることはなかった。


ずっと、地元に戻ることだけを心の拠り所に、慣れない環境で辛いことがあっても我慢して乗り越えてきたのに、自分は何のために頑張ってきたのか。

これまで心を支えていた唯一の希望が絶たれ、生きてる意味すら分からなくなることが多かった。


2回の転校を経験してからというものの、人と接することへの苦手意識が増え、誰かと心が通じ合ってる感覚を持つことはなくなっていった。

むしろ、以前は心が繋がってると思った人とさえ、気まずくなってどんとん疎遠になっていく…自分のまわりからどんどん人が去っていく感覚が強かった。


その頃から、自分には居場所がない、ここにいていいのだろうか、仲間の一員でいる感覚がない、存在意義がない...等々の感覚が抜けなくなり、生きてる意味がわからなくなっていった。


そして、辛さから逃避するために創作の世界に篭って、ギリギリのところで自分を守るようになった。


いつかこの曲を色んな人の前で歌って、気持ちに共感してくれる人が1人でもいたら今の自分が報われるだろう。

そんな気持ちを込めて、この曲を作った。


Halley / 今を好きになれなくて


過去を振り返ると、子どもというのは無力な存在だとつくづく思う。

大人になればできることが増えていって、自分の行動次第で今を変えることができる。

けど、子どもはそのときいる環境に適応できなければ、その影響をもろに受け、原液の毒に溺れて泣き叫んだり、逃避できる秘密の小部屋を作ってその世界に引きこもるしかない。

成長とは、選択肢が増える幸せなことなのだ。


というわけで、自己裁量が少ない高校生くらいまでは結構暗い世界観が続きますが、ご容赦くださいませ!笑

大人になって自由度が上がるほどに、皆に元気を与える余裕が出てきます♪


次の記事では、中学生の視点から書いた歌詞の解説ブログをUPしていきたいと思います。
ではでは☆

居場所がなかった内気な少女が作詞作曲を始めた訳

色々とblog書いてるけど、そもそもHalleyって何者!?と思ってる方もいると思うので、このページでは私のプロフィールについて紹介しようと思う。

↓↓↓

1985年、福島生まれ神奈川育ち。
3歳から10年間クラシックピアノを習う。
神奈川郊外の緑豊かな地元で、おっとりしてて心優しい幼馴染達と穏やかな日々を過ごしていたが、転校がきっかけで事態が急変し始める。

転校がきっかけで創作活動を始める

小学校1年生の頃、親の転勤で岩手へ。
新しい環境に馴染めず、生きづらさを感じ始めた出来事だった。


転校先の人間関係に苦労した経験から、いじめ防止を啓蒙する自伝の漫画や小説を書き始める。


通信簿に「協調性がない」と書かれたり、頭のおかしい都会っ子として日々過ごしていた。

しかし、小2くらいから次第に絵を描くのが得意な子、歌うのが好きな子などと芸術や創作活動を通じて交流が生まれ、友達ができ始めた。
その中の1人から誘われ、小3の時に合唱部に入部。


東北は合唱の強豪校が多く戦いが激しいので、スパルタ特訓の洗礼を受ける。

夏休みも片道2キロの道のりを毎日学校に通い、腹筋を鍛える筋トレや発声練習に明け暮れた。
その結果、小学生にして腹筋が割れた。

ミックスボイスなど高音域の発声はその時に身につけたものである。


Halley / 今を好きになれなくて

居場所がなかった小学生時代に作った曲。高音域が特徴的なバラード。


いとこが勘当されたショックで作詞・作曲を始める

詳しくは別記事に書いたので割愛するが、小学生の頃いとこが立て続けに祖父から勘当された。
www.clear-scent.com

小4の時、まだ勘当されてなかった残り2人のいとこが勘当された際に悲しみに明け暮れ、やり場のない想いを曲にしたところから作詞・作曲を始めた。


音楽を始めるきっかけとして、誰か憧れのアーティストがいたなどということが動機になるケースが多いと思うが、私は居場所がなくなって気が狂って、正気を保つために創作することから入ったクチなので、ちょっと珍しいケースかもしれない。

地元に戻って浦島太郎

4年ほど岩手に住んでから小5の時に神奈川に戻ったが、さすが都会。子供達がませている。


岩手にいた時は、ひたすら陸上!合唱!クラスの男子と女子が対立して喧嘩!みたいな毎日を過ごしていたが、神奈川ではもはや男子と女子は対立を終え和解していた。


男子との関わり方も分からないし、みんなとの共通の思い出も少なく浦島太郎状態になってしまって、孤独感を感じることが多かった。


幼馴染ともぎくしゃくしてしまい、大きな喧嘩をして学校で問題になったこともあった。

その時、誰も自分を理解してくれる人はいないのだという想いから深い悲しみを感じ、この曲を作った。


Halley / 今を好きになれなくて

この頃から、何か辛いことがあると曲を作ることで苦しみを緩和するようになった。
大学を卒業するまでに60曲以上は書いたと思う。


いつか大人になってこれらの曲を色んな人に聴いてもらい、1人でも共感してくれる人がいたら、今の自分が報われると思ったからだ。
深い孤独と苦悩を乗り越えるために、未来へ希望を託すことを選んだ。

人生をリセットするためのガリ勉

中学3年間は、無きものにしようと思った。
なぜなら、コンタクトレンズを入れることを「まだ早い」と親に止められたからだ。


小学生にして目が悪くなってしまった私は、中学校生活はコンタクトで過ごしたいと思っていたのだが、ダメだった。
容姿にこだわりがあったのでどうしてもそれが許せず、中学校生活は諦めることにした。


その代わり、曲作りと同じように未来に希望を託そうと思った。
具体的には、中学3年間は全てを捨てて勉強だけに徹し、同じ中学の人が誰も行かないような東京の私立高校に入って、人生をリセットしようと考えた。


中1から通い始めた進学塾は、なかなか楽しい空間だった。
学習レベルに合わせてクラス分けされるので進度にストレスがないし、周りの人と切磋琢磨しながら高みを目指せるのが面白い。


塾の先生の勧めもあり、私は共学の附属校を目指すことにした。
コンタクトにしてお洒落して人並みに恋もしたかったし、中学3年間青春を犠牲にするのだから高校生活は3年間フルに楽しみたい。


あとは、正直自分の人間力や生活力、コミュニケーション能力に不安があったことも大きい。


中学時代は「勉強だけしてればいい」と言われ、それ以外のこと(家事とか)を全部家族にやってもらったり、外部の情報を遮断したり、勉強仲間以外とのコミュニケーションをないがしろにしている自覚が強かった。


どこかで「世間知らずで何もできない自分」を恥じ、強いコンプレックスを感じていた。


だから高校生活では、勉強よりも人とのコミュニケーションや人生経験を積むこと、人生そのものを豊かにしていくことに重きを置こうと考えたのだった。


Halley / Last Scene

中学時代は青春を諦めていたため、どこか冷めた目線で周りを観察していた。そんな「輪の中に入れない傍観者」の視点から中学時代に作った曲。


人生は、変えられるのかもしれない

無事第一志望の共学附属校に合格し、青春を謳歌するはずが、人間関係で苦労する。
結果的に人生で一番辛い3年間になったが、コミュニケーション能力は格段に上達した。


そのままエスカレーターで大学に進学したが、そこであまりの自由さに衝撃を受ける。


これまで散々人間関係で苦労してきたけれど、大学はそもそもクラスという括りもなく、それぞれが勝手に勉強や趣味を通じて気の合う人を見つけて仲良くなるも良し、もちろん1人で授業を受けても良しという気楽さのある場所だった。


今まで一体何に悩んできたのだろう・・・?

人に勝手に決められたコミュニティの中でうまく立ち回らないと風当たりが強くなる。
そんな高校までの閉塞感がバカバカしくなり、学校外も含め積極的に外に出ていくようになった。

「絶望の中の希望」を伝えたかった

高校3年生までは、教室の隅っこで目立たないように攻撃されないように縮こまる、孤独で暗い日々を過ごしていた。
それが、大学が入ってすっかり人が変わったように明るい性格になっていった。


また、とあるインターンシップを受けたことで夢とは職業のことだけではなく「どんな自分でありたいか」という理想像のことで、それを達成する手段の1つが仕事なんだよと教えてもらった。


この考え方に感銘を受けたこと、また、就活を通じてイキイキと楽しそうに仕事をしている社会人がいることに衝撃を受けて、そんな大人になりたいと思うようになった。


これは、小学生の頃から一貫して私が曲づくりのテーマに掲げている「絶望の中の希望」とも一致する。


「仕事とは辛いものだ」「社会人は死んだ魚のような眼をして満員電車に乗っている」
そんなイメージを覆す人になり、それを後輩たちに伝えたかった。

人生初の挫折

上記のような理由から、主に人材系や教育系のベンチャーを目指して就活したが、あえなく失敗。
結局当時採用人数の多かった大手金融機関に滑り込むこととなった。


これまで受験や大学の学部争いではいつも第一志望に通っていたから、まさか自分が人生の進路でつまづくことがあるとは思っていなかった。


人生初の挫折は人生の重い影となってのし掛かり、何者にもなれない自分に日々フラストレーションが溜まっていった。


「自由でイキイキと仕事を楽しむ、ちょっとぶっ飛んだ大人」を目指していた中、真逆の環境に行ってしまい、周りから浮いて、また高校時代までのように孤独になってしまった。


Halley / サマヨイビト

分かり合える人がいない孤独から、曲作りに打ち込む。「孤高のエリート」にも「お茶目な人気者」にもなれないどっちつかずなモヤモヤを表現した。


声帯ポリープと3.11

日々のフラストレーションがあまりにも溜まりすぎ、恒常的に風邪のような状態が続き、皮膚炎なども止まらなくなった。


気持ちが荒れては飲み歩き、ある日病み上がりの中大声でカラオケで歌ったところ、声帯ポリープができてしまった。


もう歌えないかもしれない。

あまりの悲しみに打ちひしがれた時、やっぱりまた音楽をやりたいと思った。


幸いポリープの手術は無事成功し、完治後にピアノでの編曲アレンジを習い始め、そこからたまに弾き語りをするようになった。


また、同時期に起きた3.11にも大きく影響を受けた。
自分が生まれた福島や昔住んでいた岩手が大変な状況になり、東京オフィスの壁や扉も破壊され、人生がこのまま終わってもいいのか?とよく考えるようになった。


それによって、大学時代に身につけた特性である「外に出て情報を取りに行く」ことを再開し、キャリアについても考え直すようになった。

やっと居場所を手に入れる

キャリアについて考える過程で、たくさんの仲間と出逢うことができた。


学生時代学生団体で就活イベント等を主催していた人達と若手社会人向けイベントを企画したり、その繋がりで「ワールドカフェ」というブレインストーミングのようなことを定期的にやるコミュニティにも参加するようになった。


また、グローバル×マーケティングをテーマにしたビジネススクールにも1年間通い、そこで生涯の友を得た。


自分で探し選んだ「価値観の合う人達」に触発され、キャリアチェンジもすることにした。


Halley / パラダイムシフト

価値観が180度変わるような衝撃的な気づきを曲にした。




Halley / 理想郷

当時、外の世界に出た飛び出した際に、気づきを与えてくれた人達からの学びのエッセンスを曲にしてまとめた。


居場所を得て気づいた「本当にやりたいこと」

その後、紆余曲折あり色々な経験を経て、今はとある外資系メーカーで働いている。
通常ないようなクレイジーで刺激的な環境にいさせてもらえてることは、とてもありがたく思っている。


ずっと居場所がなくて、人ともうまくコミュニケーションが取れず孤独だった少女は、大人になるにつれて行動範囲を広げ、外の世界へ出ることによって価値観の合う人達を見つけ出すことができた。

そして、自分自身を大きく変えてきた。


友を得て職を得て、一段落して気づいたのは、やはり私は音楽を通じて「絶望の中にも希望がある」ということを伝えたいという想いだ。

居場所を探すことに多くの時間を費やしすぎて気づいたらこの歳になってしまったが、人生100年時代。まだまだ先は長い。


これからも、より幸せを感じるため、挑戦し続けて行こう!そんな風に思っている。


Halley / journey

いつからでも人生はやり直せる。そんな気持ちを込めた背中を押す曲。2017年、この曲を皮切りに小学生〜今まで作った曲の音源化を始めた。

近況報告

気づけば最終更新から2年。
ブログ書けなくなる病をこじらせてかなりご無沙汰しておりました。


この2年の間に、本当に色々ありました。
会社員なのかフリーランスなのかどっちつかずの生活から完全に会社員になり、ポジションも2個ほど変わって別部署に異動しました。
お金の面では本当に楽になった。まだまだ稼ぎたいけど←


生活が安定したことで、安心して音楽活動にも打ち込むことができて、定期的に楽曲制作したり高円寺のお寺の縁日に参加させていただいたりと、また以前までとは少し違う形で活動させていただきました。

https://youtu.be/GRBLuDXje-s
Halley / 愛の宇宙


Halley / 人間交差点


Halley / サマヨイビト 20190623 高円寺妙法寺縁日 路上LIVE

以前のブログを読むと、本当に体力の限界というか、めっちゃ疲れてるやん!とビックリ。
今の方が圧倒的に仕事忙しいけど、寝込んだりとか全然ないし、わりと元気に活動してる。


土日両方出かけると疲れるし、最近インドアな気分のことが多いから、もう歳かな?体力落ちたかな?と思ったけど、2年前のブログ読んだら当時よりは全然元気だわと思ったw


あとポジティブな変化で言うと、メンタルが結構強くなりました。
まぁ、もとが豆腐メンタルだから絹豆腐→厚揚げくらいの変化かもしれないけれどもw


仲のいい友人達との結束が強まってきたり、もうお別れしてしまったけれど深く分かり合えたパートナーもいて、身の回りが固まると他の人にどう思われてもいいやと開き直れた。


そして、仕事で外資という荒波に揉まれていく中、今まで知らなかった強い人格の自分も出てきて…。
前よりも少しだけ、言う時は言えるようになったかも。
性格キツく&悪くなってるかもしれないけどw


2年前は会社員に戻ったばかりで、はたまた結婚を前提に付き合えるパートナーも欲しくて、変なことを言ってはいけないと神経質になり過ぎていた。


言葉を選び、なるべく非難されないように無難に努めていたら何を書いていいのか分からなくなってしまい、次第にアウトプットができなくなってしまっていた。


けれど、これから長い人生、素の自分を出せないとキツいし、本質を知ってもなお共感してくれる人たちと歩んでいった方が長期的な関係が築ける。
だから、もう偽って隠さないことにした。


また色々赤裸々に語り出すかもしれないけれど、それでもOK🙆‍♀️という方はお付き合いくださいませ。
ではではまた♪

人によって幸せのカタチは違う。自分軸の幸せを見つけよう。

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この世界には、誰にでも通用する「絶対的な幸せ」はない。

身近にある些細な例でたとえると、飲み会でみんなの輪の中心にいるのが楽しい人もいれば、端っこでひたすらご飯を食べていることが嬉しい人もいる。

ある人にとっての幸せが、ある人にとっては地獄でしかないことは多い。


今あまり幸せじゃないと感じてる人も、実は他人から見たら割と幸せに見えてるかもしれない。

ただ、自分にとって大切なものを手にしてなくて、不必要なものばかりに囲まれてるから、不幸だと感じるだけ。


大事なのは、自分にはどんな願望があって、どういう時に幸せを感じるかってことを理解すること。

多くの躓きは「自分にとっての幸せ」の理解不足からくるもの。

逆にそこさえ理解しておけば、自身にとって幸せじゃないものを手放して幸せに感じることを取り入れていけばいいだけなので、いたってシンプル。


現時点で満足できるような状態じゃなくても、傾向とこれからの対策が見えた時点で、幸せは今歩んでる道の延長線上にある。
問題の半分以上は解決だ。


ライフワークもパートナーシップも、手段が目的化したら意味がない。

「自分にとっての幸せ」に少しでも近づくアクションを♪

自分らしさを解放して自由になるために、「自分自身のものじゃない」いらない価値観を手放す

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人が生きづらさを感じるのは、自分の価値観と合わないことをしてるとき。

自分の価値観にそぐわない人生を生きてるから、苦しい。

もちろん、日常のすべてが不満なわけじゃないだろうから、具体的にどの部分が気に食わないのか洗い出して、それを自分テイストに塗り替える必要がある。


自分らしくない選択の大元となっているのは、親を始めとした周りの大人から受け継いだ価値観。

他人のものさしで物事を選んでいるから、自分に合っていなくてツラい。


違和感を感じてる物事1つ1つに対して、「それは本当に自分の価値観なのか?」「他人のものさしなんじゃないか?」「どう改善したら自分にとっての幸せに近づくのか?」を問いかけていくことが大切。


もう歳をとりすぎてるとか、今さら気づいても遅すぎると感じることもあるかもしれないけど、それ自体が罠だ。

裁量がなく自分の意志で物事を決められなかったり、誰かに決められた枠組みの中で過ごさなきゃいけなかった子供時代と比べて、大人には選択肢が多い。

今だから、この歳だからこそ、自分の意志や裁量で人生を再選択できる。


今、あなたは自由である。

現時点であまりいい状況じゃなかったり、お金や時間がないなど制限があったとしても、少なくともそれを改善するような道を選択することができる。

そういう意味では、すでに自由だ。


もし、まだ子供時代の奴隷生活の感覚でいるのならば、もう解放されているということに気づいて、選択権があることに気づこう。

そして、小さなところから、ストレス(=自分らしくない部分)を取りのぞいていこう。


個性と才能を発揮して自分らしく生きることこそが人生の醍醐味であり、「幸せ」という目的地。

日々はそこにたどり着くための自由と解放のプロセス。


本来の自分にそぐわない価値観を手放して、自分を解放して、歳をとればとるほど、年々自由になっていこう。

人生を賭けた壮大な実験!物事の優先順位を変えて、心地いいバランスをとことん追求してみる

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前回ストレスに関する記事で、まずは解決しやすい小さなストレスの元からササッと片づけて、チリも積もれば山とならないようにしようというような趣旨のことを書いた。

とりあえずどーでもいい小さなことはどんどん処理して不快さを取りのぞいている。

今回は、ストレスについてもう一歩深く踏み込んで考えてみよう。

幸福とは、人生における各項目のバランスが最適であること

人にはそれぞれ人生の優先順位がある。


人が幸福と感じるときは、その人の人生における優先順位や各項目に割くリソースの割合が最適で、ストレスを感じるときはバランスが大きく崩れている。たぶんそれだけのことなのだと思う。

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自分がどうしたいのかすら分からないくらい心が鈍くなってる状態のときはなかなか気づかないけれど、苦しさや違和感に気づけるようになってきたならば、大きく舵を切ってその配分を抜本的に変えた方が、幸福度は増すだろう。


私はというと、今現在、人生の満足度のバランスはやや崩れがちに思う。


仕事の負担を軽くしたり、交友関係を絞ったり、いつでも好きに振る舞える環境こそ整えたが、まだまだ将来不安によって動いたり他人の都合に合わせて予定を入れてしまい、自分を大事にできてない、苦しいなと感じることが多い。

これに気づけるようになっただけでも大きな進歩なのだが...。


まぁ、実際にやってみないと「これは大して楽しくないな」とか「やってられんわ」「あっちの方が優先順位高いな」なんてことが分からなかったりもするので、これも1つの実験データととらえればいいのかもしれない。

すぐバランスの配分変更ができる「人生の投資家」を目指そう

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ライフステージやそのときの状況、興味の変化に応じて心地いいバランスは変わってくるもの。

一番幸せなのは「なんか嫌だな」とか「もっとこうしたいな♪」と思ったときに、その都度その都度スピーディーにバランスを修正してすぐ最適な状態に戻せることなのかもしれない。


そのために大切なのは、なるべくしがらみとなるような余計な荷物を持たず身軽でいること、あとは移動しやすいポータブルスキルを身につけておくことだろうか。


今からでもできることはたくさんあるし、この瞬間から選択の基準を変えることはできる。

荷物を降ろしたりスキルを磨くって道筋は意識しつつ、今この瞬間から「めんどくさいな」と思うことをどんどんやめてって「こうしたいな」「楽しいな」と思う物事を人生に増やしていきたい。


一瞬一瞬を後悔しないように生きる。その選択が積み重なったものが人生だから。

会いたいから会う、やりたいからやる

こないだ行ったお店でかかってた曲の歌詞が「会いたいから会うんだ~」みたいな内容で、たしかに基本はそこだよね!と膝を打った。


会ってて楽しい人に会いたいから会う。やってて楽しいことをやりたいからする。何かに誘われたとき、楽しそうだからjoinする。

そして、自分の時間も大切にしたいから、上記のことも会いたい・やりたいときにすればいい。(下ネタではない)


その基本原則があってこと、人生の最適配分というものが活きてくる。


これから先の人生、ラクに楽しく幸せに生きていきたいなら、先に自分がラクに楽しく幸せになって、最適なバランスで生きてみる。


そうすると、その最適なバランスのライフスタイルや、自分の興味関心に合った人たちと出会っていくようになる。


だから、血眼になって焦って何かを外に探していくのはやめて、まずは小さな自分一人単体の世界の中で幸せのカタチを追求して、毎日世界に感謝してHAPPYに生きていきたい。


今この瞬間から、まずは今週から、会いたい人に会って、自分のために時間を使って、幸せな週末を過ごしたい。

来週には、充実感に満ち溢れた報告ができますように♪

厄年×大殺界だけど、とくに大きな問題なく過ごしてるのはなぜか?の分析

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私の手相には「島」というものがあって、おそらく26-8歳くらいから何年か停滞時期が続くという相になっている。

panacee.tesomi.com

何人かに手相を見てもらったとき「もうツラい時期は終わってるよ」という人もいれば、「まだあと少し続くかも」と言う人もいた。


とりたてて悪いこともないが、まだ少し本調子じゃないというか「抜け切れてない」感があるので、これっていつまで続くのだろうと占いをかじってる知人に聞いてみた。


自分でもネットで検索しながら手相の長さを測りつつ、知人とも一緒に掌を見たところ、抜け切るのは34歳か35歳あたりかといったところ。

まだしばらく時間がかかりそうだ。

すべての問題が2017年に集結していた

その後、突然何かを察知したのか、知人は「もしかして、大殺界じゃない?」と私の誕生日を計算し始めた。


すると、見事大殺界のど真ん中!w

しかも、月の運勢も9月が一番最悪で、大殺界ど真ん中「停止」。

さらに、今年は厄年のど真ん中でもある本厄。


手相の「島」だけじゃなく、そもそも厄年と大殺界も重なっていて、物事がスムーズに進まないのはやむなしといった感じだ。


てか、そんな酷い運気だったのに、特に大きな不運にも見舞われてないのが逆にすごい!となり、なんで厄年×大殺界をうまいこと潜り抜けられてるのかを考察してみることにした。

古い自分を殺す時期

大殺界は自分らしさを失う時期と言われており、「自分らしく振る舞わない」ことが不運を避けるコツらしい。

私はこれを素で実行していて、この1年はとくに「古い自分を殺す」「再生」「生まれ変わり」「偽りの自立の皮を脱ぐ」みたいなところを心がけていた。


というか、まわりから隔離された環境が増えあまり話す人がいなくなったり、友人たちのライフステージが変わって予定が合わなくなったり...というようなことが重なって、これまでの明るかったりハイテンションな自分を出す機会が強制的にほぼなくなった。


加えて、初対面の人の前でその「今までの自分らしさ」を出すと敬遠されるようなことも多く、大殺界1年目の時点で早々と路線変更した。


最近では、むしろ積極的に、今まで積み過ぎていた「社交アプリ」をアンインストールして、どんどんマイペースな性格になってきている。


「自分らしさ」を出すことにこだわっていた時期はたしかに苦しかったけれど、切り替えて一人の時間を楽しむようになってからは、平穏な日々を過ごしている。

頑張らない・休むをテーマにしていた

大殺界1年目から心理学を勉強し始め、今までのやり方を手放す時期が来ていることに気づいた。


「頑張る」とか「努力すれば報われる」という考えに縛られ過ぎてすべてが義務感と犠牲の上に成り立ち、燃え尽きた状態になっていたからだ。


脅迫概念のごとく頑張って自身の嫌悪する部分を穴埋めをしようとしていたので、いつまでも自己肯定感が上がらず「努力したり肩書きや結果がないと価値のない自分」になってしまっていた。


人と比較して相対的に勝つことで安堵する「条件付きの自信」しかなく、努力や結果を出すこと、まわりからの評価でしか安心感が得られず、日々過度な気遣いや過剰サービスでヘトヘトになり、ただ存在してるだけの「あるがままの自分」を認める「真の自信」は身についていなかった。


なので、あえて「頑張らない」「脅迫概念で動かぬよう現状維持」を意識し、条件付きの「偽りの自信」を身につけるような行動に出ないよう、意図的にふにゃふにゃな自分のままでいることにした。


それが知らず知らずのうちに、下手に動くことが仇になる厄年や大殺界対策になっていたのだ。

物事の進みが遅くても、焦ってない

この1-2年で新しく始めたこともいくつかあったが、大事に長期的に取り組みたいことほど焦らなかった。


そして、なんとなくゆったりと楽しみながらチャレンジしたいような気分だったので、その感覚に従ってあまり意気込みすぎず過ごした。

最初から準備期間と割り切ってる

最近は「今は少しづつ変化を起こして現状を変えていってる過渡期だから、完全に殻を破り蛹から出て蝶になったときに慌てないように、準備をしておこう」と思うようになった。


忙しくなるとタイムマネジメントも重要になってくるので、余裕のある今のうちに服を買い足しておいたり、骨格診断やカラー診断で自分を魅力的に見せる方法を知っておこうとか、イメチェンして今の30代の自分に似合う髪型を模索していこうとか。


あとは、素敵な人にバッタリ出会ったときのために、外見だけでなく内面も磨いて、以前の自分よりもアップデートしたコミュニケーションが取れるようになりたい。


これらの野望があるので、今の時期の失敗はある程度割り切って「参考材料」として来るべきときのための実験データと捉えている。

データは着々と溜まってきたので、日々PDCAを回して生まれ変わっていく。


おまけ
上記では一般的に誰にでも通用しそうな項目を集めてみたが、自分個人の特殊事情で難を逃れた(?)部分もあったので、一応記載しておく。

小殺界・中殺界の時期が酷すぎた

大殺界の他にも、ちょい運気が下がる小殺界・中殺界というものがあるんだけど、過去を振り返ったらこの時期がどちらも酷すぎて(とくに小殺界)こっちで苦労しすぎて大殺界は大したことない感じで過ぎ去ろうとしてるんじゃないかという風に思えてきた。


小殺界のときは、残念な部署に異動して、パワハラによって会社の先輩が休職し、マトモな人が抜けた状態でパソコンが使えないおじさんたちの世話をするのに疲れ果て、10種類くらいの病気にかかった。


体調不良で風邪気味の状態で、ストレス発散のために飲んでカラオケで叫んだら、声帯ポリープができて入院もした。


中殺界のときは、90歳の大往生だがおじいちゃんが亡くなった。

今までの人生が波乱万丈すぎて、小さな不運をスルーしてる

文章にしてるうちに気づいたんだけど、ツラいこと、それなりにあったかもしれないwww

ただ、小殺界・中殺界を始めとしたこれまでの人生が波乱万丈すぎて、不運を不運と思っておらずスルーしてるようだ。


あとは、過去の停滞してたときの経験から、ちょっとでもうまくいかないと思ったらすぐにやり方を変えたり、変に流れに抗わず身を任せるという「身の振り方」を心得、事態が小さいうちに対策できていたのかもしれない。


いずれにせよ、人生には必ず「冬」の時期がある。

冬って大抵種まいたり何かの準備をしたり、動いてもうまくいかなそうだったら止まったり...そんな風にしてるうちに気づけば過ぎ去ってる。

そして同時に、「流れキてるわ~!!」と何をやってもスイスイ物事が進んで人脈が広がる時期もある。


人生の目的は「自己実現」。

自己実現とは、本来の自分の姿に戻っていくこと。


本来の自分に戻るためには、過去の自分を殺し古い鎧を脱ぎ捨てて、身軽になっていくことが必要だ。

冬の時期は、そんな再生のために充てられる通過儀礼だと思えば、悪いものではない。



P.S.

にしても、星占術では射手座、六星占術では金星人(-)って、私はどんだけマイペースな自由人なんだw

中学生~26歳までは「自分は決められたレールの上に従って生きていく人間だ」と信じて疑わず、射手座の性格の解説を読むたびに「嘘ばっか」と呆れてたけど、ここにきてあながち間違ってないかもwと思う今日この頃。