心理学のセミナー受講を1ヶ月ほど続け、カウンセリングも併用してたら、どんどん自分の上に重ねて乗せていた虚像の上澄みのようなものがなくなっていって、玉ねぎの皮が剥けてきた。
そしたらその中から、寂しい気持ち、かまってほしい気持ち、注目して欲しい気持ち、自分を一番優先して欲しい気持ちがたくさん出てきて、どうしようもなくなっている。
自分はすごく寂しがりやでneedyで目立ちたがり屋なかまってちゃんで重くてドロドロしててマジめんどくさいヤツだな、ということを改めて再確認した。
とはいえ、これは後天的に身についた性格というよりも、かなり核となる"玉ねぎの芯"に近い部分だと思うので、感情を無きものとして嫌悪するよりも、私はこういう種類の玉ねぎなんだと受け入れて諦め、どう付き合っていくかということを考えた方がよさそうだ。
何よりも、今までは自分はこういう玉ねぎだということを自覚してなくてしくじっていた部分が大きい。
無自覚の感情が、無意識に問題をつくり出す
振り返れば、人に注目してもらうために、わざわざ問題を作り出していたような気がする。
彼氏ができると急に仕事関係でトラブルを抱えたり、だめんずと付き合ってボロボロになって友達に心配されることで友情を噛みしめたり、で、味をしめてまたすぐだめんずを捕まえてというのを繰り返してたら誰からも相手にされなくなって、今度は体調を悪くしたり・・・。
そういうのを意図的でなく、もっと潜在意識・無意識のような奥深い領域で無自覚のうちにやり続けていたような気がする。
一番厄介なのが、こういう自分の陥りがちなパターンやそのパターンをつくり出してる感情に気づかないこと。
「あ、また私やってる」と傾向を把握し気づけるようになったら、事前に対処もできるし、感情もある程度手放せる。
かまってちゃんという玉ねぎでいることを嫌悪し、そこから脱却しようと足掻くことよりも、まずは「またいつもの癖が出たわ」と気づけるようになることが第一歩。
で、そんなめんどくさいメンヘラ玉ねぎたちはこれからどうしたらいいのかということを私なりに考えてみたので、以下に記載しておく。
素直に直接愛をくれという
そもそも、直接「寂しい」とか「話を聞いて欲しい」みたいなことを言わないで姑息なやり方で愛情を奪おうとするからめんどくさくなるのであって、最初から素直にやって欲しいと思うことを相手に頼んでみればいい。
相手の状況やキャパシティ、現状でのお互いの関係性の良し悪しなどもあるので、その通りにしてもらえるかどうかは分からないが、言いたいことをストレートに伝えられるだけで意図は通じるので、ある程度の満足感や繋がってる感は感じられるだろう。
健全な方法で注目される
あとは、ステージで歌う、ブログやで発信をするなど、趣味だったり、見たい人だけ見ればいいようなものを手段として健全に注目を浴びるという方法がある。
この場合、ある程度「誰かのため」になっていたり「与える」部分がないと、継続して注目を集めることが難しいので、独りよがりに陥りすぎぬよう客観性を養ういいトレーニングにもなる。
与えることで受け取る
あとは定番の「人に与えたらそれが返ってくるという」循環方式がある。これは、簡単なようでなかなか難易度が高い。
与えよう与えようと思ってるときって結構偽善的になってることも多く、見返りを求めて犠牲を尽くしてることも多い。
なんだかんだで、何も考えないでやったことや楽しんで夢中になってやってたことの方が感謝されたりする。
この塩梅を学ぶには、一度カラカラになるまで人のために何かし尽くした経験や、認められたいがために頑張り尽くしてヘトヘトになった経験を経て、本音じゃないことはイマイチやる気の出ない状態までもっていくのがコツかもしれない。
「本音でしか与えられないモード」になって初めて、純度の高い「心から与える」ができて、本当の意味で受け取り満たされることができる。
ということで、同じように自分はかまってちゃんでメンヘラ気質あるけど病的なほどではなく、どうしたものか?と困ってる人は、根本原因を把握したり、普段やりがちな姑息な癖を知ることで、かなり改善の余地はあるかも。
ほなまた!