私は、ずっと過去の自分を報うために生きてきた。
辛かった幼少期に、普段言いたいけど言葉にできない想いを曲として絞り出して作品にし、時を経て自分が華やかなステージの上でこれを発表して、ひとりでもいいから共感してくれる人がいたら過去の自分報われる...それだけを信じて生きてきた。
オリジナル曲発表の機会をうまく作れぬまま社会人になったが、声帯ポリープ事件や3.11を経験して、このまま何も作品を発表しないまま死んだらイヤだなと奮起。
音楽スクールに通い、ピアノでの楽曲アレンジを習い、幼少期から書き溜めていた曲の一部を人前で発表する機会を得た。
スクールの発表会という、そんなにハードルの高くない舞台だったけれど、思ったよりも好評で、聴いてくれた人たちからも共感を得た。
夢は、叶ってみるとあっけない。
その後何回かのLIVEを経て、緊張してうまくピアノが弾けないというスランプに陥り、いつしかステージには立たなくなった。
そこから4年の時が経ち、下記のような出来事があり、また音楽をやってみようかなという気持ちになったのだった。
気軽なイベントで場数を踏み、「失敗してもいいじゃん」というリラックスした気持ちから、いつしかスランプは脱していた。
そもそも、ピアノを弾かずに外部に音源制作をアウトソースするという方向に向かい出していたw
過去の自分を報うことへの執念
相変わらず私は、過去に"今の自分"を報いたくて未来に希望を託すために作った曲たちを歌っていた。
しかし、そこにはいささか違和感もあった。
私は何を伝えたくてこのステージに立っているのだろう?何か伝えたいメッセージがあったはずだと。
同時に、もうすでに私は明るい場所へと向かって新たな人生を歩み始めていることに気づいた。
もう、自分の意志で何かをすることが許されず、世の中は危険で怖いものだと怯える小さな子供の自分ではなかった。
まだ何者でもないが、心の声に従い、自分の信じた道を一歩一歩歩き出していた。
自分が伝えたかったのは、そういった日向へと向かう一連のストーリーだった。
だが、現状は劇的Before AfterのBeforeだけをたくさん伝えてるような状況。
だから、なんとなく締まりが悪かったのだ。
あくまで一番の肝はAfterで、サンプルとして比較対象のために必要なBeforeの数はそんなに多くなくてもいい。
むしろ、圧倒的なAfter不足だった。
それに気づき、過去に自分を報うために作った楽曲たち(全部で60曲くらい?)のなるべく多くをこの世の中に形として残すことに固執していた執念のようなものが和らいだ。
何よりも、すでに昔の楽曲を人前で発表していたことで、私の過去は癒され、かなり成仏していた。
今、何を伝えたいのか?
これまでは音楽を「自分自身へのセラピー」として活用していたが、自己満足だけにに浸ってると、それ以上人に伝えるモチベーションは沸かない。
でも、ステージに立ちたい。何かを世の中に伝えたい。
ツイッタラーとして突然出現したときのように、ブログなどを含めまた何かしらを世の中に発信したい。
そんな気持ちが渦巻いていた。
じゃあ、過去ではなく今に目を向けると、伝えたいことって何なの?
そんな疑問が頭の中に沸き起こった。
そこで、これまでの傾向も踏まえつつ、自分は無意識にどんな物事に惹かれ、どんなときに創作意欲を掻き立てたてるのか思い返してみた。
面白い人の生き方に触れたとき、新たな視点を得るような本を読んだとき、知らなかった価値観を知れたとき、エキサイティングな経験をしたとき、あまりに嬉しいことがあって誰かに伝えたくて...。
そんな感じのことが多かったように思う。
ユニークな人、経験、生き方...そんなところからの刺激や学びが、私の「みんなに伝えたい」欲を掻き立てる。
クレイジーな人たち、バカバカしくて笑っちゃうようなエネルギーが充満した活気のある空間、笑いの神が降臨してるとしか思えないような旅の途中のトラブル...。
そんな物事たちが「ちょっと聞いてよ!」と笑い話を披露させたい気持ちにさせる。
だからかいつも、私の行くところ行くところには個性的な人たちが待ち受け、数々のネタと珍事件を提供してくれた。
そんな喜劇の世界と、それぞれの人の魅力の核となるストーリー、人生の波乗り方法...。
そのエッセンスを観察したり解剖したり吸収して咀嚼しながら、私のフィルターで再構築して、また作品としてアウトプットしていきたい。
まずは、刺激物となるようなものを主体的に見つけて、触れてみるところからの再スタート。
面白い(変な)人たちについては、紹介と名乗り出よろしく!