人生やり直し記

シンガーソングライターHalleyのblog

人を幸せにしようと思ったら、まずは自分を満たす。自分がHAPPYでいることが周りの人の幸せ♪

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こんにちは、はるにゃんです。

ちょうど1ヶ月前・先月末は、数年前に通っていたビジネススクールの同期たちとワークショップを開催してました。


旅行に行っても何してても、30分でも時間が空くと「働き方について」「リーダーシップについて」「移住について」など、フリーテーマでディスカッションし出してしまううちら。


もう、これは何かアウトプットする場をつくった方がいいんじゃないかと半分呆れ(?)、その場のノリと勢いで勝手にワークショップを企画しましたw


実は、これにはもうひとつ狙いがありました。

何を隠そうわたし自身が、自分の本当にやりたいこと・興味のあることについてかなり腰が重い&ビビリなところがあるので、何の利害関係もない人たちにフラットな意見を言ってもらい、背中を押してもらう場を強制的につくりたかったのです。笑

いつも自分のことが後回しになる

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以前ちょっとお話しした「エニアグラム」という性格分類では、人の性格を9つに分類しているのですが、メインとなる9つのタイプの他に、それを補足する「サブタイプ」というものがあります。


サプタイプは3種類で、ざっくり言うと

・ソーシャル…社会的な欲求がつよい。繋がりを求める。

・セクシャル…1対1の関係や、相手を魅了することに興味がある。

・自己保存…自分の身の回りのことや健康に興味がある。家にいるのが好き。

みたいな感じです。


※詳しくはこちらをご覧ください。


サブタイプの3つの本能は全員が持っていて、その優先順位が人によって違います。

わたしの場合は一番つよいのがソーシャル、次がセクシャル、一番欠けているのが自己保存なので、いつも「社会的なこと」を優先しすぎて自分のことが後回しになってしまいます。


それで体を壊したり、嫌なことでもガマンできてしまって精神的にキツくなったり、集まりに行くことを優先して休養がとれていなかったり、人のことや社会的な活動にかまけて、自分が本当にやりたいことがおろそかになってしまったりします。


ソーシャルの人は気を使ったり全体を見すぎて疲れやすいので、たまの休みは立ち上がれないほどキツく一日中死んだように寝てしまい、家事をする体力も残っていないなんてことも。


このタイプは、意識的に自分のためだけの時間を多めにとることが身の回りに起こる様々な問題の打開策だったりします。

罪悪感による補償行為は「貢献」によく似た「自己犠牲」

・世間的によしとされる生き方に興味が持てない
・学校の勉強に興味がない
・親の期待に応えられない...etc.

生きていく過程で、わたしたちは様々なことに罪悪感を抱いていきます。


その罪悪感を表面意識で認識できてればまだいいけれど、無意識に抑圧していると、知らず知らずにやってしまうのが自己攻撃。


「自分は罰を受けなければならない」と思っているので、幸せになることを許せず、気づかぬうちに本意でない選択ばかりしてしまうように。


・面白い人間でないと、まわりから人が去っていく

・まず人の役に立つべきで、好きなことをやるなど自分の意思を優先してはいけない

・自分の心地いいと思う方を選択するのではなく、みんなが喜びそうな方を選ぶべきだ

・お金を稼いでいないと好きなことをやってはいけない

・まずは生活のために働くべきだから、ツラいことも我慢しなくてはならない


そんな脅迫概念のようなものに襲われて「人のために何かしないと」「社会の役に立たなくてはいけない」と純粋でない動機で「貢献っぽいこと」をするのが補償行為。


わざわざツラい状況に自分を置いてみたり、本当にやりたいことではないことで頑張りつづけるので、いつしかガス欠に。
心身ともにどんどん疲弊していきます。

承認欲求が補償行為を助長して、よけいにワケわかんなくなる

また、罪悪感以外で補償行為に走る動機となるのが、承認欲求。


・社会的に認められたい
・世の中に影響を与えたい
・うまくいってるあいつらを見返したい
・有名になってすごい人だと思われたい
・若いうちに活躍してチヤホヤされたい
・仲間に入りたい(仲間はずれにされたくない)


などの承認欲求をモチベーションとしつつ、それがバレないように社会貢献っぽいことをして崇高さを装うのもまた、補償行為。

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この場合、自分では善意でやってると信じ込んでるからこれまた厄介で、自他ともに補償行為だと気づきづらいです。

自分を許し、幸せに許可を出す

わたしが罪悪感を癒すのに効果的だったのが「感謝のシャワー」のワーク。

複数人で集まって、ひとりずつみんなの前に立ち、数分間ひたすらその人のいいところを言っていく...という非常にシンプルなワークです。


わたしがそのワークをやったとき、「まわりをよく見てる」「気遣い」「リーダーシップ」「チームワーク」「みんなを元気づける」というようなコミュニティへの貢献的な意見がほとんどで、なんにも意識してくてもこんなに「人のこと」をやれてるなら、意識的に「人のため」の行動をしなくてもいいやと自分を認めることができました。


また、他の人がそこまで激しくチームワークを意識せずとも「存在そのもの」や「癒し」などに感謝されてるのを見て、何かムリにやろうとしなくても、自分が幸せでたのしそうにしていれば、それだけで与えてるし、まわりの人も幸せな気分になるんだな~と痛感。


大切なのは、自分自身がいつも満たされた状態でいられるようにして、与える余地のある「心のキャパシティ」を用意しておくことだと気づきました。

自分を喜ばせることを優先して生きる

上で書いたのは、どちらかというと人のせいにするより自己否定に陥りがち、自分よりも他人を優先してしまうタイプ向けの解決策なので、あんまり当てはまらない人もいるかもしれません。


ただ、わたしと同じようにソーシャル本能が強かったり、プライドや承認欲求によって不本意な選択をしがちな人は、それを緩和していくことによって、次第に楽しい・うれしい・幸せと感じる選択できるようになっていきます。


似たようなタイプの人は、意識して自分を満たすことを優先するくらいがちょうどいいかもしれません。


補償行為に気づき、偽りの貢献をやめて、まずは自分のために生きてみませんか?