人生やり直し記

シンガーソングライターHalleyのblog

本当の自信とは、人と比較できないもの。挫折してからが真実の人生のはじまり。

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めちゃんこお久しぶりです、はるにゃんです。
更新が滞りまくってますが、無事生きてます。笑


先日、とある飲みの席でそれぞれの人生について語り合っていたのだけれど、そこで以前からの友人から言われた言葉が胸に刺さりました。


「はるにゃんの言ってる挫折っていうのが全然わからない。それって挫折なの?少なくとも僕にはそう見えないんだけど。」

「え、挫折じゃない?!…だって…。」


と、ここに書いてあるようなことをごにょごにょ喋りながら、その場にいた人たちの想定外のリアクションに驚く。

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そのときの衝撃を掘り下げていくうちに、今日は「自信」をテーマにお話ししようというところにたどり着きました。

挫折の定義は「こうあるべき」から外れること

挫折の定義はなんなのか?

そう言われてみると、自分が「こうあるべき」と思ってる価値観。ただそこから外れてしまっただけのことのようにも思えます。


だから、自分の中では挫折だと思っていることも、他人からみると「それのどこが?」となることも多い。


他人からみて大したことないようなことで、なぜここまで苦しんだり生きづらくなるのかというと、

・自分はこの分野で平均より優れている
・誰かと比べて勝っている

というような比較や肩抱き、ブランドにしか自分には価値がないと思っているから。


つまりは、他人と比較して「自分はできる」と思ってるうちは本当の自信は身についておらず、そこから自身の真価が問われるのです。

自信がないと、自己PRがうまくなる

○○ができること、○○のポジションにいること、○人の人に褒められたことなどが価値だと思っているので、自信がない人はただ黙っていられない。

「わたしは○○をしてきて~」
「○○のときが超大変で~」
「○○に言い寄られたときは~」
「○○さんの知り合いで~」

ということを息を吐くように喋るようになる。


自慢したくてそのようなことを口にする人もいるけれど、ほとんどの場合は「ナメられてはいけない」「攻撃されたくない」「面白い人だと思われて仲良くなりたい」という怖れや承認欲求から無自覚のうちに言葉が口をついて出てきています。


本人には自慢するつもりもないし事実を述べただけだけれど、聞いている相手は戦いを挑まれてるような気分になって、萎縮してしまいがち。


もちろん、本人には戦う気はゼロで、むしろ「それ知ってる~!」などと相手の話に乗っかることで、共通の話題ができて仲良くなれると思っているけれど、聞いてる人はげんなりしていることも多かったり。


これらも全部、自信のなさから起こること。

挫折から「真の自信」を身につけるか、過去の栄光にすがりつづけるか

そうなると、自分が相対的に優れてると思ってきたものを失うことはむしろチャンスで、挫折は「真の自信」を身につけるために起こる出来事ともいえる。


ただ、それを受け入れようとしないと、まだ「表面的な自信」「表面的な価値」をもっていたころの自分にすがり続けてしまいます。


「昔○○だったんだけど~」
「昔○○をしてて~○○にいて~」

みたいな昔話が自己PRのレパートリーに新たに加わります。


そして、現状を見ただけじゃ経歴や他人からいかに評価・賞賛されてきたかが分かりづらくなってしまったので、現在進行形で表面的な価値を信じてる「挫折未経験者」よりも、より一層自己主張とアピールがひどくなっていきます。


「真の自信」を身につけるのが遅れれば遅れるほど、こじらせが強まり、まわりから疎ましがられ、孤立していく。

それを「環境」という舞台や、「周りの人」という役者だけ変えて、延々とくり返しつづけるのです。


だから、これをいい機会と捉えて、自分の日頃の行動を見直すこと、そして、そんな行動をしなくて済むよう本質的な自信を身につけていくことが大切。


挫折を乗り越えてきたこと、そして、表面的・物質的な価値ではなく自分の内面にある価値に気づくことこそが、本当の自信につながります。


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