こんにちは、はるにゃんです。
アイデンティティ崩壊から日々心境の変化が大きすぎて、言いたいことの方向性がなかなか定まらず「心の底からの発信」が久しぶりになってしまいました。
だんだん新しい自分にも慣れ考えもまとまってきたので、見てる人がいるか分からないけどムダに幼少期からさかのぼってお話ししていきます。
言えなかった言葉をカタチにする手段
わたしはもともと幼少期はネガティブな性格で、人とコミュニケーションをとるのが苦手でした。
小学校1年生のときに親の転勤で岩手に行き、そこで馴染むのにも苦労したし、もといた神奈川に戻ってきてからも、浦島太郎みたいになってしまって、なんだか色んなことがうまくいかなかった。
オマケに中度の近眼になりダサい眼鏡をかけていて(今みたいにイケてるデザインのやつがなかった)、外見にも自信がなかったから、余計に内向的になっていった。
うまくいかないことはとりあえず全部外見のせいにして、それを理由に人と深くかかわることを拒絶していた。
だから、あんまり友達もいなかった。
(ときを経て今は地元のメンバーとも仲いいけど)
しゃべることも苦手で、誰かと話していてもリアルタイムでいい感じのレスポンスや切り返しができず、だいぶ不器用に生きてきた。
その「もっとこう言えばよかった」とか「本当はこう言いたかった」って想いがどんどん溜まっていって、いつしかそれを"作品"というカタチで残すようになった。
最初はたしか自伝(当時小学生だから7年分くらいしかないw)をマンガにしていて、その後は小説。
でも、ボリュームが多すぎて完成させるのが大変だったから、どちらも途中でやめてしまった。
そこで小学校4年生のときにたどり着いた手段が「作詞・作曲」。
録音という手段を思いつかなかったので、とりあえず歌詞だけノートに書き出して、メロディーなどは脳内に保管しておいた。
2017年より、それらを少しづつ音源として作成し始めた。
すべてのモチベーションは「価値観の合う人と繋がりたい」
孤独なりに「仲間と一体感を感じられる場所」を見つけることもできた。それは、高校受験のときに通っていた塾。
その塾に入るためには学力テストみたいなものがあって、合格した人だけが入ることができた。
さらにクラスもレベルによって分かれるので、必然的に同じような高校を目指し、似たような価値観をもつ人が集まる。
上のクラスになってしまい、最初はついていくのにいっぱいいっぱいだったけれど、徐々に慣れて偏差値も上がっていった。
背伸びしてちょっとムリかもと思うところに入って、食らいつき続けることで成長していけるのが嬉しかった。
唯一人とフラットに接することができ、よき仲間・ライバルがいる場所が塾くらいだったので、中学時代はほぼ勉強だけに日々を費やした。
ホントは仲間が欲しかっただけなのに、いつしか目的が「向上心の高い人たちと切磋琢磨して高みを目指すこと」になっていた。
でもある日ふと、勉強しかしておらず、人とマトモにコミュニケーションをとることができず、恋もせず、ひとり「秘密の小部屋」にこもって空想の世界だけで輝いて、現実の世界を見ようとしない自分がすごくイヤになって、宇多田ヒカルの言葉を借りると「人間活動」的なことがしたくなった。
なので、大学受験のために勉強する時間を、自分が人と比べて圧倒的に劣っているコミュニケーションを学ぶ時間に充てようと重い、大学受験の必要がない附属高校(もちろん共学♡)に行くことにした。
高校デビューに失敗して学んだ「人は見た目じゃない」
「小さい頃からコンタクトレンズをつけていると眼病のリスクが高い」という謎の持論を掲げる親の意向で中学時代はコンタクトにさせてもらえず、ずっと例のダサい眼鏡をかけていた。
そのころは「人は見た目だ」と思っていたので、中学時代の恋と人間活動は完全にあきらめて、すべてを高校デビューのために捧げ勉強し、地元の人が誰もいないような片道1時間半かかる場所にある私立の大学附属高校に進学した。
高校生になったらコンタクトレンズにしていいとのことだったので、とりあえずそれを皮切りに高校デビューを目指した。
(が、今度は「髪を染めちゃいけない」とか「携帯電話はもつな」みたいな家庭の方針と、自由で校則がない高校の狭間で苦しむことになる。みんなと同じじゃなきゃハブられる、仲間に入れない、でも家が厳しくて同じにできないみたいな概念といつも葛藤してた)
とりあえず「根暗っぽくない見た目」をGETすることはできたけど、いくら見た目を変えても性格までは瞬時に変えられないもので、やっぱり人とのコミュニケーションにはだいぶ苦労した。
高校デビューには失敗し、むしろ中学よりも人間関係は悪化した。
結論、人は見た目じゃない。
そこから改心して、高校3年のときには、人生で初めて妄想とか見てるだけの片思いではなく、生身の人間をちゃんと好きになり、彼氏をつくることができた。
その人に3ヶ月くらいで振られたことから自分を見つめなおし、その後はみんなの前で自分を出せるようになっていき、人並みに集団の中でコミュニケーションがとれるようになっていった。
3年間丸々かかってしまったけど、結果的にはちゃんと恋のタスクも人間活動のタスクも完了することができた。
ブログとの出会い
大学附属にいたので受験はないけれど、高校3年生になったら学部・学科を選択しなければいけない。
あんまり勉強に興味がないし、将来やりたいことも音楽以外とくにないので、とりあえず潰しがききそうな法学部に進学した。
3年生のときに著作権法のゼミをとり、そのときの教授がオタクな弁護士で、話が面白かった。
オタクな弁護士はネットが大好きで、みんなにブログを書くことを勧めていた。
それに感化されて、わたしもブログを始めた。
そのときのブログはもう残ってないけど、当時から「友達とやったバカなこと」などを日記代わりに書き留めていた。つくった曲の歌詞などもシェアしていた。
更新が滞ると友達に会ったときに督促された。
楽しみにしてくれる人がいるのがとても嬉しかった。
作詞作曲をはじめたときと根っこは変わらず、わたしにとって創作活動・表現活動とは、ふだんうまく言えないことを補足するツールで、価値観の合う人と繋がり仲間になるための手段なのだろう。
人の人生の分岐点にかかわる仕事がしたい
大学3年になり、就職活動の時期が近づいてきた。
どこもかしこもみんな夏のインターンシップの選考に奔走している。
上記のとおりわたしは特に社会に出てやりたいことがなかったのだけど、人に流されやすい性格だったので、とにかく何かインターンをやらないとヤヴァイと思い、リクナビか何かでインターン情報を検索してみた。
あんま興味あるのないなーどうしよっかなーと思っていたところに発見したのが二泊三日で八ヶ岳にこもって行う合宿型インターン。
みんなでアクティビティをしたり、就活に役立つ自己分析的なワークをしたりするっぽいので、ちょうどいいと思い、選考会に参加した。
選考会ではチームワークを試されるような謎のアクティビティをやった上で、インターンの志望動機的なものを書くエントリーシートをその場で提出した。
よくわかんないけれど、気づいたら選考に通っていて、まわりには向上心のある濃いメンバーがそろっていた。
みんなキャラはバラバラだけど、なにか一本根っこのようなものでつながっているような一体感があった。
インターンに参加し、自己分析等のワークによって得た大きな気づきは主に2点。
ひとつは、わたしはその時その時の人間関係によって幸福度が大きく左右されるということ。
(人生グラフみたいなやつを書いたら発覚した)
そしてもうひとつは、夢とは職業のことではなく「どうありたいか」「人生において何を得たいか」で、それを実現するための手段が仕事だという考え方を知れたこと。
この気づきはかなりの衝撃で「働く」ということのイメージが一気にポジティブなものに変わった。そして、未来に対して肯定的に考えられるようになった。
この経験から、同じように「働く」ということに対してポジティブなイメージをもてる人を増やしたい、人の人生の分岐点にかかわる仕事がしたいと思うようになり、就活では人材系・教育系のベンチャーを中心に受けた。
人生はじめての挫折
インターンで覚醒してから、中学以来の「向上心のある仲間と切磋琢磨したい病」が再発した。
プレセミナーや説明会でグループワークをしては、他大学の学生と仲良くなり、輪を広げていった。
しまいには、同じ業界内の会社の説明会に行けば、他社で出会った知り合いが誰かしらいるくらいにまでなり、その人脈で就活サークルを立ち上げたりもした。
就活サークルのメンバーとは、セミナーや説明会の合間に集まっては飲みながら「こんな世の中になったらいい」など将来の展望の話に花を咲かせた。
が、楽しかったのはそこまでで、実際に選考がはじまるとダークサイドに落ちることとなった。
ESと筆記試験、グループディスカッション、集団面接はほぼ必ず通るんだけど、いつも最終面接かその1つ手前で落とされた。
文系新卒は始めは営業に配属されることが多いけど、元コミュ障のわたしはどうしても営業という仕事をやりたいと思うことができなかった。
そして、昔から体力がなく規則正しい生活が好きで早寝早起きなタイプなので、夜遅くまで起きてることができない。
少しでも寝不足になると顔中ニキビだらけになるのも気がかりで、激務に耐えられる自信がなかった。
その自信のなさや迷いが面接でにじみ出てしまい、おそらく落とされたのだろう。
今まで、努力さえすれば進みたい道に絶対に進めると思っていたけれど、努力じゃどうにもならないことがあるということをそのとき初めて知った。
それが、人生最初の挫折だった。
オール明けで寝ながら面接受けたら内定をもらえた
ベンチャーの選考がひと通り終わり大手の選考がはじまる4/1の時点でわたしは「無い内定」。
半分放心しながら、とあるキャリアコンサルタントのところへ行った。
学生の就活支援センターみたいなところに行ったんだけど、わたしの担当になった人がたまたま同じ高校出身で、親身になって相談に乗ってくれた。
4/1過ぎたらもうほぼすべての選考が始まっていて、もはやもう受けられる企業はない、秋採用まで待たなきゃかなぁと思っていたけれど、その人に「金融一般職ならまだ募集してるよ」と言われた。
ひとまず、そこに行くかどうかは別として1件すべり止め的な感じで内定を取っておこうと思い、銀行、証券会社、生保、損保の事務職に片っ端からエントリーしていった。
そのときは結構心が荒れていて、就活で出会った仲間と定期的に飲んだくれてはオールする、というような日々を過ごしており、一番最初に選考があった某生保の面接の日も、オール明けで眠い状態だった。
3月までの面接では、嘘がつけない性格なので「第一志望ですか?」と聞かれたときに「うっ」と言葉が詰まってしまい、グダグダになっていた。
しかし、この日は眠かったことが功を奏した。
眠さのあまり面接中に意識を失いかけていたのだけれど、一緒に面接を受けていた隣の学生が「第一志望です!」と言った声に驚いて飛び起き、つられて勢いで「第一志望です!!」と何も考えずに口に出していた。
そこからは順調に選考が進んでいった。
二次面接の担当社員はキャラがおかしくて、わたしに対する質問は1つくらいしかせず、ほとんどがその人の就活時代の武勇伝で終わった。
その武勇伝に、ほどよいタイミングで合いの手を入れていたら、いつの間にか面接に受かっていた。
最終面接は謎にクイズミリオネア風で、「ファイナルアンサー?」みたいなことを聞かれ、数分の間のあと「内定」と言われた。
今思うともしかしたら結構ギャグセンが高い会社だったのかもしれない。
同じ大学出身者との差に苦しむ
某大手生保の内定をとったあとも納得いくまで人材ベンチャー界隈で就職活動をつづけ、結局他に内定が取れぬまま7月になった。
なので、結局唯一内定が取れたその生保にいくことにした。
くくりとしては一般職なのだけど、そこから20名ほど総合職と同じような仕事をする人を選出しエリア総合職(?)みたいなカタチで働かせるめずらしい制度があったので、ひとまずそれに手を挙げた。
で、その20名の中に選ばれて、企業年金のコンサルなどをする法人営業部に配属されることになった。
だが、同じ大学の学部・学科の知り合いはみんな総合職(転勤あり)の側にいて、新人の集合研修では待遇や研修プログラム、座る席の位置までまったくバラバラで、かなりみじめな思いをした。
総合職のメンバーはみんなでチームを組み、与えられた課題をクリアしたりプレゼン準備したりと、毎日が文化祭の準備みたいで楽しそうだった。
「意識の高いメンバーで切磋琢磨し高みを目指したい病」におかされているわたしは毎日が物足りなくて地獄のように苦しくて、寂しくて、プライドがズタズタになって、本当に憂鬱だった。
サイズの合わない服を着ているような、現実とセルフイメージの不一致感が気持ち悪くて、その不一致感に日々苦しめられた。
※このときつくった曲が、サマヨイビト。
環境に適応した人気者にもなれず、エリートにもなれず、すべてが中途半端でどっちつかずの状態の苦しみを曲にした。
「セルフイメージに現実を合わせる」という選択
今の現実に馴染み、そこでまわりと仲良くしながら楽しくやっていくという選択もあったけれど、わたしが選んだのは「セルフイメージに現実を合わせる」という道だった。
みんなが和気藹々と切磋琢磨してるあちら側へ行くにはどうしたらいいか。
・最短で出世を狙い、役付同士としてかかわる
・総合職(転勤あり)への職掌転換
など色々と手段はある。
その実現のためにわたしは、仕事においてできる限りの最大のパフォーマンスを発揮することにした。
目指すところはつねに同じ職種内の同期で1位!
業務の関係で取らなきゃいけない資格試験30個近くをほぼすべて最短で一発合格し、なおかつ高得点で突破した。
全国順位が出るような社外資格は、つねに受験者の中の上位1割を狙った。
(絶対ここまでする必要ないしw)
昇格の時期が近づくと、より評価されやすい業務につくために異動希望を出した。
そこで希望が通ったのが、新規立ち上げ部署での中小企業開拓。
ひたすら飛び込みで新しい企業を開拓し、会社のトップや人事・総務部長に自社商品を取り入れてもらうよう交渉するワイルドな部署だった。
もともと内心では営業がやりたいと思っておらず、ただの見栄やプライド、向上心の高い仲間と切磋琢磨したい病によって「営業をやりたいフリ」をしていたわたしは見事に潰れ、気づいたら精神がボロボロになっていた。
人生初の挫折によって色々なしがらみから解放され、人生の見方が180°変わった経験を曲にした。
本当の目的は単に「仲間が欲しい」だけだった
その後はフリーの仕事をしてみたり、ベンチャーで働いたり外資で働いたり色んなタイプの環境で色んな働き方をしてみた。
結果としてわかったのは、苦なくできることや心の底からやりたいと思ったことをやっているときには辛いことがあってもタフに乗り越えられて、本音ではやりたくないことや「こう思われたい」「こうあるべき」という見栄やプライドで動いたときには、とても苦しくなるということ。
では、なんでこんなに本心に嘘をついてまで頑張りつづけてきたのだろうか?
それは「仲間が欲しい」「価値観の合う人と繋がりたい」という純粋な欲求に気づかず、「仲良くなりたいと思っている属性の人たちと同じフィールドに立つ権利を得ること」に目的がすりかわっていたから。
「手段の目的化」というやつだ。
曲をつくり始めたのも、自分が考えている「言えなかった想い」をアウトプットしてそれに共感してくれる人と心で繋がりたかったからだし、高校受験を頑張ったのも、人とのコミュニケーションを学ぶ(人間活動をする)時間が欲しくて受験のない附属高校に行きたかったから。
ブログを始めたのも人に笑いや感動を提供して面白いやつだと思って欲しかったからで、ふだん言葉足らずで不器用なので、腹の底ではどんなことを考えてるのかを知って欲しかった。
いつもいつも、誰かと心の深い部分で繋がりたくて、創作活動なり職業選択なり自身のあり方なりを選んできた。
そして、実際にここ7年くらいで少しずつ
・向上心の高い人
・勉強、仕事、スポーツなど、何かしらで成功体験をおさめてきた人
・未来を肯定的にとらえ前向きな努力をしてる人
など、繋がりたいひとたちと繋がれるようになり、今は自分のまわりはそのような人たちだらけになった。
ただ、そういう人たちと仲良くなるために、ここまで自分を苦しめ、実際の個性や得意分野を偽り、ノウハウだけの表面的な努力をしてはうつ病になるまで自分を追い込む必要はあったのだろうか?
別に、同じフィールド、同じ種目、同じ職種で「切磋琢磨できるライバル」として側にいなくても、他の方法があったと思う。
自分の得意な部分だけフリーランスやボランティアスタッフとしてスポット的にかかわってもよかっただろうし、勉強会にご飯を差し入れる料理担当でもよかったかもしれない。
趣味が似てたら趣味仲間として仲良くなれたかもしれない。
もっと楽に、等身大の自分で、個性や生まれ持った適性を活かした繋がり方があったのではないかと思う。
閉じ込めていた女性性を開花させて生きる
冒頭で言っていたアイデンティティ崩壊のそもそもの発端は、人から女性性のつよさを指摘されたことだった。
人前では必要以上に男っぽく振る舞い、左脳を強化し、日々戦いながら過ごしてきた。
あり方を変えようとすると、今までやってきた行動、これまでの人生がすべてムダになるような気がして、生き方を根本的に大きく変えなければいけないような恐怖心に襲われ、自分の中の女性性を認めたくなくて、ずっと葛藤してきた。
心が虚勢されたような感じがして、借りてきた猫みたいに口数が少なくなり、ひとりになりたくてしょうがなくなって、海外に逃亡するために航空券も買った。
いったん手を止めてしばらくゆっくりしてみて分かったのは、今までやってきたことでムダなことなんで何ひとつなくて、ただ少し軌道修正をすればいいだけだということ。
世界の見え方が変わっただけで、行動において大きく変えなければならないことは、あまりなかった。
あんなに拒絶していたけれど、新しい世界を受け入れると、そこはとても楽で居心地がよくて、みんなが優しい、素晴らしい場所だった。
繋がりたい人と繋がるために、後天的に身に着けた(中途半端な)知性、ロジカルシンキング、戦略性…etc.
そのおかげで自立できたし仲間もできた。これからもこれらの力が役に立つ場面は多々あると思う。
そんな今あるリソースを活かしつつも、苦手な部分は人の手を借りながら、自分の持ち場で輝けるようシフトしていくことも大切。
創造性、アイディア、感性、人を育てる力、傾聴、仲間に入れる、シェア…
今まであまり目を向けてこなかった、自分の本来の適性を伸ばし、それをもっと創作活動などに活かし、貢献というカタチで使っていこうと思った。
ライフワークとどう向き合うか
全力で創ったコンテンツをシェアして、誰でも出入り自由な場をつくる。その場を覗いた人に笑いや感動を提供して、幸せにする。
わたしが本当にやりたかったのは、このようなことだったのではないか。
その中で伝えたいメッセージが「人生には色んな選択肢があるんだよ」ということ。
みんな「ふつう」というものがあると思っていて、ちょっと個性的だったり、レールの上にいるのがツラい自分を「変なやつ」「人から受け入れられない存在」だと認識し、「こうしたい」と思ったことを抑圧してしまう。
ホントはありのままの自分でいた方が魅力があって、その個性や才能を活かし、したいと思ってる生き方をすることは可能なのに、自分をガチガチに縛ってしまうことで不自由になっていく。
これらを解決したいという想いがわたしの打ち出している「キャラが活きる居場所で最高のパフォーマンスを発揮できる人を増やす」というテーマに繋がる。
そしてその手段として、わたしの波乱万丈な経歴を人前で話したり、ふつうになれない心の葛藤を曲にしたり、変なブログを書いたりしている。
そして、自分の原点となっている
・孤独な小中学生
・恋愛や人間関係に悩む高校生
・将来が見えない大学生
・まわりに価値観の合う人がいない社会人
・「ふつう」の定義に縛られて悩むすべての人々
に想いを届けられるよう、これからも何らかの発信を続けていきたい。