人生やり直し記

シンガーソングライターHalleyのblog

【歌詞解説】不器用な第一子は、努力によって要領のいい末っ子を打ち負かせるのか?を綴った『ウサギとカメ』

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「絶望の中の希望」をテーマに楽曲制作をしている、シンガーソングライターのHalley(ハレー)です。


これまでの歌詞解説ブログ2つを読んで、こんなドロドロした想いで曲書いてるなんて、性格悪いやつだなと思ったと思います。


そんなあなたに嬉しいニュース!
たぶん今回の内容が一番エグいですw


内容が内容なので、しばらく経ったら非公開にしようかな?と若干思ってます。


もう何回かこんな感じの内容が続きますが、人は歳を重ねると丸くなるもの。

25歳過ぎたあたりから徐々に性格良く(?)なってくんで、もうしばしお待ちください!w


まずは恒例の歌詞から♪

_________________

『ウサギとカメ』

作詞・作曲 Halley


幼い頃 君は私を蔑んだ
いつも一番になれないのに
黙って笑ってようとしないから

君が居眠りしてる間に
たどり着いたふもと道
大人になって目が覚めて
うわの空で見つめるだろう

カメはウサギをいつか追い越す
おとぎ話さえも知らないのかい?
ありふれた生き方も 妬むしかできない君

幼い頃 君は私を嘲笑った
くだらない悪あがきばかりして
黙って手を上げようとしないから

君は居眠りしてる間に
アウトコースからも外れ
大人になって挫折を知って
ただただ 泣きつづけるだけ

ウサギはカメに
「辛さなんて知らないだろ」と言う
自分が寝ている間に
山を越えていたことも知らず


僕もいつしか走り疲れて
闘いの無意味さを知って
大人になって目が醒めて
過ぎ去った時間(とき) 嘆くだろう

カメはウサギをいつか許して
自由になっていく
自分が自分を認めることで
誰かを受け入れられて

知らないのかい?
ありふれた生き方を
越えていく僕の秘密

_________________


私は幼い頃、いつも弟にディスられていた。

弟は末っ子だから親からも可愛がられる上、(当時は)容姿もよく、スポーツ万能で要領もいい。

不器用で要領が悪く、真面目だけがとりえのおっとりした私は、何をやってもダメだとバカにされてきた。


弟は世界は自分を中心に回ってると思っているようなタイプで、自分大好きわがまま放題。

親もそれを咎めず、どんどん自己愛が肥大化していったため、世の中のすべては自分の思い通りになると思ったまま中学生になった。


弟がバカにし続けた姉は、真面目にコツコツ勉強し、そこそこの高校に受かったのだが、弟はそんな努力も知らず、「こんな奴でも偏差値70いくなら、勉強しなくても余裕だ」と思ったらしい。


彼はあまり勉強をしなくなった。
受験前でもゲームばかりやるなど、緊張感のない日々を過ごしていた。


自業自得と言えばそれまでだが、彼は受験で志望校のすべてに落ちた。
合格発表のシーズン、家は葬式状態になった。

(そのせいで私が運転免許取りに行きたいと言ったのが却下されて大学入ってから忙しい中取りに行く羽目になり、睡眠不足で死にそうな時期があった)


しばらく葬式状態が続いた後、地元の進学校に補欠で合格していたと通知が届き、何とか事なきを得た。


高校入学後、弟は得意だった陸上をするため部活に入ったが、脚を故障し、部活を辞めることになった。


唯一の特技ができなくなった上に、コミュニケーションについて学ぶことなく元来のワガママな性格のまま来てしまったせいか、いつしかいじめに遭うように。

気づけば不登校になり、家に引きこもるようになっていった。


いつだったか、私がたまたま日々の生活の中で嫌なことがあって、大きなため息をついていたときがあった。


それが弟は気に食わなかったらしい。
殺されるのではないかというくらい殴りかかってきたことがあった。


弟からすると、私が何もせず勝手に希望が叶ってのほほんと生きてるのにもかかわらず、文句を垂れているように見えて気に食わなかったらしい。


そんなわけないだろう。

弟は知らないかもしれないが、弟が受験勉強をサボっていた中学生時代、私は毎日お風呂とご飯の時以外は大体勉強してた。


高校へ入学してからだって人間関係で苦労して、毎日学校に行きたくないと思いながら、血を吐く思いで毎朝5時半に起きて2時間近くかけて通学してた。


心を病んだり体を壊して学校に行けなくなれないかなと毎日思いながら過ごしていたけれど、ムダに心や体が強かったようでそうなれず、そんな己の強さを恨んだりもした。


それを何もせずのほほんと生きて、幸せなくせに文句を言ってるみたいな言い方はしないで欲しい。

自分で努力して手に入れた環境の中抱えるありありふれた悩みに、いちいち目くじら立てないで欲しい。

そんなことを思い、怒りに震えた。


そのとき感じたことを社会人になってからふと思い出して作った曲がこの『ウサギとカメ』だ。


実はこの曲は、音源をレコーディングする直前までは2番サビまでしかなくて、最後の方のフレーズは数年前に書き加えた。

僕もいつしか走り疲れて
闘いの無意味さを知って
大人になって目が醒めて
過ぎ去った時間(とき) 嘆くだろう

カメはウサギをいつか許して
自由になっていく
自分が自分を認めることで
誰かを受け入れられて

知らないのかい?
ありふれた生き方を
越えていく僕の秘密


書き足した理由は、心理学を学んだから。

まだ人生で挫折を知らなかった頃は、努力すれば全てのことが叶うと思ってた。

でも、頑張り過ぎて疲れ果て燃え尽きてしまった経験から心理学を学び、努力しまくるフェーズの先にもっと幸せな世界があることを知った。


義務感で努力し続けることを辞め、自分の弱さを認めて人の欠点も受け入れられるようになった方が、孤独から解放され人と繋がれることを学んだ。


それを知ってから、ふと童話の『ウサギとカメ』がこのシーンで終わるのはおかしいと思いネットで検索したところ、どうやら続きがあるらしい。


続編にはウサギ編とカメ編があるようやのだが、その後カメがどうなったかというと…

ウサギとの勝負に勝利したカメは、「やればなんでもできる」という気持ちに目覚め、頑張れば空も飛べると思うようになる。

ある日ワシに空高く飛んでくれとお願いし、ワシは高い場所まで飛んでいき、そこからカメを落とした。

カメは空を飛べるはずもなく地面に激突し、砕け散った…というトラウマになりそうなストーリーが載っていた。


やはり、心理学の燃え尽き症候群と一緒で、ヒーロー気分に侵されて頑張りすぎると、破滅へと陥っていく。


そのとき、「そうか、この曲はまだ作品として未完成だったのか」と思い、続きを付け加えることにした。

それが、上記の最後に付け加えた2番のBメロ〜大サビだ。


その後、私と弟がどうなったかというと、私は転職して比較的自由な社風の会社に移り、ずっとやりたかったオリジナル曲の制作活動も始めた。

そして弟は、引きこもりから脱し、高卒認定を受けて大学に進学し、無事卒業して就職した。


もし、過去の恨みからヒーローという役割を演じているならば、それを手放して自分を解放してあげる。

レールから降り好きな道を選択することで、初めて少しずつ人を許せていく。


親や兄弟を憎んでも、何か償ってくれるわけじゃない。

好きなように生きることでしか、人は幸せにはなれないのだから。


Halley / ウサギとカメ

【歌詞解説】早く高校生になりたかった。孤独な中学生が同級生を傍観する曲『Last Scene』

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こんにちは!「絶望の中の希望」をテーマに楽曲制作している、シンガーソングライターのHalley(ハレー)です。

前回は小学生の頃作った曲の歌詞解説をさせていただきましたが、今回は少し成長して中学生の頃に作った曲について解説していこうと思います。

まずは歌詞から。

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『Last Scene』

作詞・作曲 Halley


別れを告げる 短い言葉
胸は痛いけど no tears
まわりの人の泣き顔だけが
やけにワザトらしくて
冷めていく心に気づいた
大人ぶった私

秋雨の日の哀感も
慣れてしまえば薄れてく
曇った窓に手を重ね
顔を背けた そんなLast Scene

ほんのひとときの幸せのため
また自分を苦しめる
悪循環が癖になってく
憂鬱すぎる旅路で
新しいスタート切るには
まだ傷が深くて

涙を誘う哀調は
今も私に問いかける
冷たい壁の片隅で
耳を塞いだ そんなLast Scene

濁った群れを抜け出して
一人飛び立つ そんなLast Scene

_________________


中学の頃、原因が何だったのは忘れたけれど、先生VS生徒の大規模な争いがあった時期があった。


話し合いの場を設けるためにと、先生達によって学年全員が視聴覚室に集められたその日は雨。

私はただひたすら、虚ろな眼で曇った窓越しの風景を眺めていた。


当時私は冷めた子供で

「なぜみんな反抗なんてするのだろう?黙って従っておけばいいのに」

「先生達は生徒達を都合のいいときだけ大人扱いして欲しがると非難するけれど、私は大人扱いしてほしいなんて思っちゃいない。子供でいることのメリットを知っているから」

などと遠巻きに他人行儀で皆の様子を傍観していた。


そんな輪の中に入らず(入れず)、熱くなってる人達を冷たい目で見つめる孤独な中学生の視点から、学校や集団というものに対する違和感を曲にしてみた。


この曲の歌詞は、その事件があった秋頃〜卒業式のあたりにかけて練り直しながら作ったもの。

だから、曲の中には卒業式の光景も入り混じっている。


卒業生代表が、いかにこの3年間が楽しかったか想い出を語り、同級生達の多くがそれを聞いて泣いていた。


その光景を見て、

この人達は、本当に中学校生活が楽しかったのだろうか?

みんなそんなにこの場所がかけがえなかったのか?

地元だし一生の別れじゃないのに、そこまで悲しまなくても…

もしかして、場の空気を読んでみんな嘘泣きしてるんじゃないか?

と驚きとともに疑問を感じたことを覚えている。


私は大学入学前までは、今いる環境にあまり未練を感じることもなく、「早く来年にならないかな」「早くクラス替えしないかな」などと、未来に希望を抱きながら、毎年変化を楽しみに生きてきた人間だ。

当時ももちろん、早く高校生になって、何もかもリセットしたかった。


ここまでまったくというほど中学校生活に興味が湧かなくなった原因は、高校生になるまでコンタクトレンズを使うのはNGと親に禁止され、メガネで過ごさなくてはならなかったことも大きい。


今となってはお洒落メガネも多いしメガネ美人と言われる人も多いけれど、当時はメガネの種類も限られていたし、選択権がないので親が選んだものをそのままかけるしかなく、容姿を諦めて過ごすしかなかった。


歌詞の中の

ほんのひとときの幸せのため
また自分を苦しめる
悪循環が癖になってく
憂鬱すぎる旅路で

という部分は、「目が悪いのに無理して裸眼で過ごしメガネをかけないでいると、もっと視力が悪化する」と当時眼科で言われたことを詩的に表現したものである。


もっと泥沼不倫愛的なことを想像した人も多いと思うが、私はたまにこういう謎の小ネタを詩に盛り込んでしまうところがあるw


作者の実際の意図はともかく、リスナーの方々には、自分の境遇と重ね合わせて色々と解釈を楽しんでいただけると、創作者としてとても嬉しい。

最後に

その後高校に進学して人間関係で揉まれ、自分の地元の人達はなんて温かくていい人達だったのだろうということに気づかされた。


グループに別れて行動したりはしてたけど、ただ便宜上気の合う人やカラーの近い人同士(派手とか真面目とか)で固まってただけで、根本的にお互いいがみ合ったり攻撃し合うようなことはなかった。


そんな本質的にいい人達のもとで多感な時期を過ごすことができて、今となってはありがたかったな、と思っている。


孤独とメガネとガリ勉をこじらせた中学時代。

少しでも共感できる部分があった方は、ぜひ下のリンクから聴いてみてください♪


Halley / Last Scene

【歌詞解説】絶望の淵に立った小学生が、死なないために作った曲『今を好きになれなくて』

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こんにちは。「絶望の中の希望」をテーマに楽曲制作をしている、シンガーソングライターのHalleyです。

もともと作詞がしたくて音楽を始めたこともあり、私の作る曲には意味深な歌詞が多いです。笑


よく色々なアーティストさんの歌詞を「どういう意味なんだろう・・・?」とファンの方々で解釈して楽しんでるシーンをWeb上などで見かけますが、アーティスト本人が解説してるものというのはあまりないと思います。

「曲を作るときって一体どんなこと考えてるの?」

「どういうときにインスピレーションが湧くの?」

そんなことを聞かれることも多いです。


私はせっかくこうしてブログなど文章で発信する活動をしているので、定期的に「歌詞解説ブログ」なるものを書いてみることにしました。

創る人の頭の中がどうなっているのかというご参考までに見ていただければと思います。


音源化してる曲の中で、幼少期に作ったからものから順番に紹介していきます。

今回ピックアップする曲は小学校6年生のときに作った曲『今を好きになれなくて』

まずは歌詞をご覧ください。


_________________

『今を好きになれなくて』

作詞・作曲 Halley


ふいに最近 ときが経つのが
速くなってるような気がした
生きていること やっていること
すべてに意味を 感じはしない

もう何も望まない
誰かと心通じたなら
ここにいる証が欲しかった
幻とともに消えてゆくように
今を好きになれなくて 逃げ出した夜に

ふいに最近 人と接することが
苦手になった気がした
気まずくなって 話題とぎれて
無口になって 離れ去ってく

私たちが出逢ったとき
はじめて話したときのこと
思い出したら優しくなれた
幻とともに消えてゆかずに
今を好きになるために 何をすればいい?

決してもどることはない
一瞬(いっとき)の宝物
ここから何を選んでいこう

もう何も望まない
誰かと心通じたなら
ここにいる証が欲しかった
幻とともに消えてはゆかず
今を好きになるために 何ができるだろう?

今を好きになれなくて 逃げ出した夜に

_________________


小学生の頃、親の仕事の都合で岩手に転校したのだけれど、転校先の人間関係や田舎暮らしにうまく順応できず、毎日「地元に帰りたい」と思いながら過ごしていた。


4年間泣きながら過ごして、やっと待ちに待った帰郷。

元々住んでた場所で知り合いも多くて、楽しみしかなかったのだけれど、実際戻ったらタイムラグを感じてしまい、友人達とぎくしゃくしてしまうことも多かった。


自分のホームは神奈川で、3歳くらいから一緒に過ごした友人達こそが「幼なじみ」だと思っていたのだけれど、ある日古くからの友人に「幼なじみっていうのは、ずーっと一緒に過ごしてきた人のことを言うんだよ」と言われた。


途中中抜けしていて4年間を別の場所で過ごした私は「幼なじみ」の定義には当てはまらないということだった。

その言葉にショックを受け、空白の4年間を呪った。


実際、ずっと帰りたかった地元に帰ってみたものの、自分の参加していない林間学校の話や様々な想い出話などが話題に上る度、皆と共通の体験がないことへの孤独感を感じていた。


また、とある友人と揉め事があった際、学校の先生から一方的に悪者にされクラスのホームルームなどで吊るし上げられたことがあった。


実際は親同士のトラブルなども絡んでいて事情は複雑だったのだけど、そのようなことは一切考慮されず、先生が私の言い分を聞いてくれることはなかった。


ずっと、地元に戻ることだけを心の拠り所に、慣れない環境で辛いことがあっても我慢して乗り越えてきたのに、自分は何のために頑張ってきたのか。

これまで心を支えていた唯一の希望が絶たれ、生きてる意味すら分からなくなることが多かった。


2回の転校を経験してからというものの、人と接することへの苦手意識が増え、誰かと心が通じ合ってる感覚を持つことはなくなっていった。

むしろ、以前は心が繋がってると思った人とさえ、気まずくなってどんとん疎遠になっていく…自分のまわりからどんどん人が去っていく感覚が強かった。


その頃から、自分には居場所がない、ここにいていいのだろうか、仲間の一員でいる感覚がない、存在意義がない...等々の感覚が抜けなくなり、生きてる意味がわからなくなっていった。


そして、辛さから逃避するために創作の世界に篭って、ギリギリのところで自分を守るようになった。


いつかこの曲を色んな人の前で歌って、気持ちに共感してくれる人が1人でもいたら今の自分が報われるだろう。

そんな気持ちを込めて、この曲を作った。


Halley / 今を好きになれなくて


過去を振り返ると、子どもというのは無力な存在だとつくづく思う。

大人になればできることが増えていって、自分の行動次第で今を変えることができる。

けど、子どもはそのときいる環境に適応できなければ、その影響をもろに受け、原液の毒に溺れて泣き叫んだり、逃避できる秘密の小部屋を作ってその世界に引きこもるしかない。

成長とは、選択肢が増える幸せなことなのだ。


というわけで、自己裁量が少ない高校生くらいまでは結構暗い世界観が続きますが、ご容赦くださいませ!笑

大人になって自由度が上がるほどに、皆に元気を与える余裕が出てきます♪


次の記事では、中学生の視点から書いた歌詞の解説ブログをUPしていきたいと思います。
ではでは☆

居場所がなかった内気な少女が作詞作曲を始めた訳

色々とblog書いてるけど、そもそもHalleyって何者!?と思ってる方もいると思うので、このページでは私のプロフィールについて紹介しようと思う。

↓↓↓

1985年、福島生まれ神奈川育ち。
3歳から10年間クラシックピアノを習う。
神奈川郊外の緑豊かな地元で、おっとりしてて心優しい幼馴染達と穏やかな日々を過ごしていたが、転校がきっかけで事態が急変し始める。

転校がきっかけで創作活動を始める

小学校1年生の頃、親の転勤で岩手へ。
新しい環境に馴染めず、生きづらさを感じ始めた出来事だった。


転校先の人間関係に苦労した経験から、いじめ防止を啓蒙する自伝の漫画や小説を書き始める。


通信簿に「協調性がない」と書かれたり、頭のおかしい都会っ子として日々過ごしていた。

しかし、小2くらいから次第に絵を描くのが得意な子、歌うのが好きな子などと芸術や創作活動を通じて交流が生まれ、友達ができ始めた。
その中の1人から誘われ、小3の時に合唱部に入部。


東北は合唱の強豪校が多く戦いが激しいので、スパルタ特訓の洗礼を受ける。

夏休みも片道2キロの道のりを毎日学校に通い、腹筋を鍛える筋トレや発声練習に明け暮れた。
その結果、小学生にして腹筋が割れた。

ミックスボイスなど高音域の発声はその時に身につけたものである。


Halley / 今を好きになれなくて

居場所がなかった小学生時代に作った曲。高音域が特徴的なバラード。


いとこが勘当されたショックで作詞・作曲を始める

詳しくは別記事に書いたので割愛するが、小学生の頃いとこが立て続けに祖父から勘当された。
www.clear-scent.com

小4の時、まだ勘当されてなかった残り2人のいとこが勘当された際に悲しみに明け暮れ、やり場のない想いを曲にしたところから作詞・作曲を始めた。


音楽を始めるきっかけとして、誰か憧れのアーティストがいたなどということが動機になるケースが多いと思うが、私は居場所がなくなって気が狂って、正気を保つために創作することから入ったクチなので、ちょっと珍しいケースかもしれない。

地元に戻って浦島太郎

4年ほど岩手に住んでから小5の時に神奈川に戻ったが、さすが都会。子供達がませている。


岩手にいた時は、ひたすら陸上!合唱!クラスの男子と女子が対立して喧嘩!みたいな毎日を過ごしていたが、神奈川ではもはや男子と女子は対立を終え和解していた。


男子との関わり方も分からないし、みんなとの共通の思い出も少なく浦島太郎状態になってしまって、孤独感を感じることが多かった。


幼馴染ともぎくしゃくしてしまい、大きな喧嘩をして学校で問題になったこともあった。

その時、誰も自分を理解してくれる人はいないのだという想いから深い悲しみを感じ、この曲を作った。


Halley / 今を好きになれなくて

この頃から、何か辛いことがあると曲を作ることで苦しみを緩和するようになった。
大学を卒業するまでに60曲以上は書いたと思う。


いつか大人になってこれらの曲を色んな人に聴いてもらい、1人でも共感してくれる人がいたら、今の自分が報われると思ったからだ。
深い孤独と苦悩を乗り越えるために、未来へ希望を託すことを選んだ。

人生をリセットするためのガリ勉

中学3年間は、無きものにしようと思った。
なぜなら、コンタクトレンズを入れることを「まだ早い」と親に止められたからだ。


小学生にして目が悪くなってしまった私は、中学校生活はコンタクトで過ごしたいと思っていたのだが、ダメだった。
容姿にこだわりがあったのでどうしてもそれが許せず、中学校生活は諦めることにした。


その代わり、曲作りと同じように未来に希望を託そうと思った。
具体的には、中学3年間は全てを捨てて勉強だけに徹し、同じ中学の人が誰も行かないような東京の私立高校に入って、人生をリセットしようと考えた。


中1から通い始めた進学塾は、なかなか楽しい空間だった。
学習レベルに合わせてクラス分けされるので進度にストレスがないし、周りの人と切磋琢磨しながら高みを目指せるのが面白い。


塾の先生の勧めもあり、私は共学の附属校を目指すことにした。
コンタクトにしてお洒落して人並みに恋もしたかったし、中学3年間青春を犠牲にするのだから高校生活は3年間フルに楽しみたい。


あとは、正直自分の人間力や生活力、コミュニケーション能力に不安があったことも大きい。


中学時代は「勉強だけしてればいい」と言われ、それ以外のこと(家事とか)を全部家族にやってもらったり、外部の情報を遮断したり、勉強仲間以外とのコミュニケーションをないがしろにしている自覚が強かった。


どこかで「世間知らずで何もできない自分」を恥じ、強いコンプレックスを感じていた。


だから高校生活では、勉強よりも人とのコミュニケーションや人生経験を積むこと、人生そのものを豊かにしていくことに重きを置こうと考えたのだった。


Halley / Last Scene

中学時代は青春を諦めていたため、どこか冷めた目線で周りを観察していた。そんな「輪の中に入れない傍観者」の視点から中学時代に作った曲。


人生は、変えられるのかもしれない

無事第一志望の共学附属校に合格し、青春を謳歌するはずが、人間関係で苦労する。
結果的に人生で一番辛い3年間になったが、コミュニケーション能力は格段に上達した。


そのままエスカレーターで大学に進学したが、そこであまりの自由さに衝撃を受ける。


これまで散々人間関係で苦労してきたけれど、大学はそもそもクラスという括りもなく、それぞれが勝手に勉強や趣味を通じて気の合う人を見つけて仲良くなるも良し、もちろん1人で授業を受けても良しという気楽さのある場所だった。


今まで一体何に悩んできたのだろう・・・?

人に勝手に決められたコミュニティの中でうまく立ち回らないと風当たりが強くなる。
そんな高校までの閉塞感がバカバカしくなり、学校外も含め積極的に外に出ていくようになった。

「絶望の中の希望」を伝えたかった

高校3年生までは、教室の隅っこで目立たないように攻撃されないように縮こまる、孤独で暗い日々を過ごしていた。
それが、大学が入ってすっかり人が変わったように明るい性格になっていった。


また、とあるインターンシップを受けたことで夢とは職業のことだけではなく「どんな自分でありたいか」という理想像のことで、それを達成する手段の1つが仕事なんだよと教えてもらった。


この考え方に感銘を受けたこと、また、就活を通じてイキイキと楽しそうに仕事をしている社会人がいることに衝撃を受けて、そんな大人になりたいと思うようになった。


これは、小学生の頃から一貫して私が曲づくりのテーマに掲げている「絶望の中の希望」とも一致する。


「仕事とは辛いものだ」「社会人は死んだ魚のような眼をして満員電車に乗っている」
そんなイメージを覆す人になり、それを後輩たちに伝えたかった。

人生初の挫折

上記のような理由から、主に人材系や教育系のベンチャーを目指して就活したが、あえなく失敗。
結局当時採用人数の多かった大手金融機関に滑り込むこととなった。


これまで受験や大学の学部争いではいつも第一志望に通っていたから、まさか自分が人生の進路でつまづくことがあるとは思っていなかった。


人生初の挫折は人生の重い影となってのし掛かり、何者にもなれない自分に日々フラストレーションが溜まっていった。


「自由でイキイキと仕事を楽しむ、ちょっとぶっ飛んだ大人」を目指していた中、真逆の環境に行ってしまい、周りから浮いて、また高校時代までのように孤独になってしまった。


Halley / サマヨイビト

分かり合える人がいない孤独から、曲作りに打ち込む。「孤高のエリート」にも「お茶目な人気者」にもなれないどっちつかずなモヤモヤを表現した。


声帯ポリープと3.11

日々のフラストレーションがあまりにも溜まりすぎ、恒常的に風邪のような状態が続き、皮膚炎なども止まらなくなった。


気持ちが荒れては飲み歩き、ある日病み上がりの中大声でカラオケで歌ったところ、声帯ポリープができてしまった。


もう歌えないかもしれない。

あまりの悲しみに打ちひしがれた時、やっぱりまた音楽をやりたいと思った。


幸いポリープの手術は無事成功し、完治後にピアノでの編曲アレンジを習い始め、そこからたまに弾き語りをするようになった。


また、同時期に起きた3.11にも大きく影響を受けた。
自分が生まれた福島や昔住んでいた岩手が大変な状況になり、東京オフィスの壁や扉も破壊され、人生がこのまま終わってもいいのか?とよく考えるようになった。


それによって、大学時代に身につけた特性である「外に出て情報を取りに行く」ことを再開し、キャリアについても考え直すようになった。

やっと居場所を手に入れる

キャリアについて考える過程で、たくさんの仲間と出逢うことができた。


学生時代学生団体で就活イベント等を主催していた人達と若手社会人向けイベントを企画したり、その繋がりで「ワールドカフェ」というブレインストーミングのようなことを定期的にやるコミュニティにも参加するようになった。


また、グローバル×マーケティングをテーマにしたビジネススクールにも1年間通い、そこで生涯の友を得た。


自分で探し選んだ「価値観の合う人達」に触発され、キャリアチェンジもすることにした。


Halley / パラダイムシフト

価値観が180度変わるような衝撃的な気づきを曲にした。




Halley / 理想郷

当時、外の世界に出た飛び出した際に、気づきを与えてくれた人達からの学びのエッセンスを曲にしてまとめた。


居場所を得て気づいた「本当にやりたいこと」

その後、紆余曲折あり色々な経験を経て、今はとある外資系メーカーで働いている。
通常ないようなクレイジーで刺激的な環境にいさせてもらえてることは、とてもありがたく思っている。


ずっと居場所がなくて、人ともうまくコミュニケーションが取れず孤独だった少女は、大人になるにつれて行動範囲を広げ、外の世界へ出ることによって価値観の合う人達を見つけ出すことができた。

そして、自分自身を大きく変えてきた。


友を得て職を得て、一段落して気づいたのは、やはり私は音楽を通じて「絶望の中にも希望がある」ということを伝えたいという想いだ。

居場所を探すことに多くの時間を費やしすぎて気づいたらこの歳になってしまったが、人生100年時代。まだまだ先は長い。


これからも、より幸せを感じるため、挑戦し続けて行こう!そんな風に思っている。


Halley / journey

いつからでも人生はやり直せる。そんな気持ちを込めた背中を押す曲。2017年、この曲を皮切りに小学生〜今まで作った曲の音源化を始めた。

近況報告

気づけば最終更新から2年。
ブログ書けなくなる病をこじらせてかなりご無沙汰しておりました。


この2年の間に、本当に色々ありました。
会社員なのかフリーランスなのかどっちつかずの生活から完全に会社員になり、ポジションも2個ほど変わって別部署に異動しました。
お金の面では本当に楽になった。まだまだ稼ぎたいけど←


生活が安定したことで、安心して音楽活動にも打ち込むことができて、定期的に楽曲制作したり高円寺のお寺の縁日に参加させていただいたりと、また以前までとは少し違う形で活動させていただきました。

https://youtu.be/GRBLuDXje-s
Halley / 愛の宇宙


Halley / 人間交差点


Halley / サマヨイビト 20190623 高円寺妙法寺縁日 路上LIVE

以前のブログを読むと、本当に体力の限界というか、めっちゃ疲れてるやん!とビックリ。
今の方が圧倒的に仕事忙しいけど、寝込んだりとか全然ないし、わりと元気に活動してる。


土日両方出かけると疲れるし、最近インドアな気分のことが多いから、もう歳かな?体力落ちたかな?と思ったけど、2年前のブログ読んだら当時よりは全然元気だわと思ったw


あとポジティブな変化で言うと、メンタルが結構強くなりました。
まぁ、もとが豆腐メンタルだから絹豆腐→厚揚げくらいの変化かもしれないけれどもw


仲のいい友人達との結束が強まってきたり、もうお別れしてしまったけれど深く分かり合えたパートナーもいて、身の回りが固まると他の人にどう思われてもいいやと開き直れた。


そして、仕事で外資という荒波に揉まれていく中、今まで知らなかった強い人格の自分も出てきて…。
前よりも少しだけ、言う時は言えるようになったかも。
性格キツく&悪くなってるかもしれないけどw


2年前は会社員に戻ったばかりで、はたまた結婚を前提に付き合えるパートナーも欲しくて、変なことを言ってはいけないと神経質になり過ぎていた。


言葉を選び、なるべく非難されないように無難に努めていたら何を書いていいのか分からなくなってしまい、次第にアウトプットができなくなってしまっていた。


けれど、これから長い人生、素の自分を出せないとキツいし、本質を知ってもなお共感してくれる人たちと歩んでいった方が長期的な関係が築ける。
だから、もう偽って隠さないことにした。


また色々赤裸々に語り出すかもしれないけれど、それでもOK🙆‍♀️という方はお付き合いくださいませ。
ではではまた♪

人によって幸せのカタチは違う。自分軸の幸せを見つけよう。

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この世界には、誰にでも通用する「絶対的な幸せ」はない。

身近にある些細な例でたとえると、飲み会でみんなの輪の中心にいるのが楽しい人もいれば、端っこでひたすらご飯を食べていることが嬉しい人もいる。

ある人にとっての幸せが、ある人にとっては地獄でしかないことは多い。


今あまり幸せじゃないと感じてる人も、実は他人から見たら割と幸せに見えてるかもしれない。

ただ、自分にとって大切なものを手にしてなくて、不必要なものばかりに囲まれてるから、不幸だと感じるだけ。


大事なのは、自分にはどんな願望があって、どういう時に幸せを感じるかってことを理解すること。

多くの躓きは「自分にとっての幸せ」の理解不足からくるもの。

逆にそこさえ理解しておけば、自身にとって幸せじゃないものを手放して幸せに感じることを取り入れていけばいいだけなので、いたってシンプル。


現時点で満足できるような状態じゃなくても、傾向とこれからの対策が見えた時点で、幸せは今歩んでる道の延長線上にある。
問題の半分以上は解決だ。


ライフワークもパートナーシップも、手段が目的化したら意味がない。

「自分にとっての幸せ」に少しでも近づくアクションを♪

自分らしさを解放して自由になるために、「自分自身のものじゃない」いらない価値観を手放す

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人が生きづらさを感じるのは、自分の価値観と合わないことをしてるとき。

自分の価値観にそぐわない人生を生きてるから、苦しい。

もちろん、日常のすべてが不満なわけじゃないだろうから、具体的にどの部分が気に食わないのか洗い出して、それを自分テイストに塗り替える必要がある。


自分らしくない選択の大元となっているのは、親を始めとした周りの大人から受け継いだ価値観。

他人のものさしで物事を選んでいるから、自分に合っていなくてツラい。


違和感を感じてる物事1つ1つに対して、「それは本当に自分の価値観なのか?」「他人のものさしなんじゃないか?」「どう改善したら自分にとっての幸せに近づくのか?」を問いかけていくことが大切。


もう歳をとりすぎてるとか、今さら気づいても遅すぎると感じることもあるかもしれないけど、それ自体が罠だ。

裁量がなく自分の意志で物事を決められなかったり、誰かに決められた枠組みの中で過ごさなきゃいけなかった子供時代と比べて、大人には選択肢が多い。

今だから、この歳だからこそ、自分の意志や裁量で人生を再選択できる。


今、あなたは自由である。

現時点であまりいい状況じゃなかったり、お金や時間がないなど制限があったとしても、少なくともそれを改善するような道を選択することができる。

そういう意味では、すでに自由だ。


もし、まだ子供時代の奴隷生活の感覚でいるのならば、もう解放されているということに気づいて、選択権があることに気づこう。

そして、小さなところから、ストレス(=自分らしくない部分)を取りのぞいていこう。


個性と才能を発揮して自分らしく生きることこそが人生の醍醐味であり、「幸せ」という目的地。

日々はそこにたどり着くための自由と解放のプロセス。


本来の自分にそぐわない価値観を手放して、自分を解放して、歳をとればとるほど、年々自由になっていこう。