人生やり直し記

シンガーソングライターHalleyのblog

人生を賭けた壮大な実験!物事の優先順位を変えて、心地いいバランスをとことん追求してみる

f:id:haruka-sato-chf:20170926174024j:plain

前回ストレスに関する記事で、まずは解決しやすい小さなストレスの元からササッと片づけて、チリも積もれば山とならないようにしようというような趣旨のことを書いた。

とりあえずどーでもいい小さなことはどんどん処理して不快さを取りのぞいている。

今回は、ストレスについてもう一歩深く踏み込んで考えてみよう。

幸福とは、人生における各項目のバランスが最適であること

人にはそれぞれ人生の優先順位がある。


人が幸福と感じるときは、その人の人生における優先順位や各項目に割くリソースの割合が最適で、ストレスを感じるときはバランスが大きく崩れている。たぶんそれだけのことなのだと思う。

www.clear-scent.com


自分がどうしたいのかすら分からないくらい心が鈍くなってる状態のときはなかなか気づかないけれど、苦しさや違和感に気づけるようになってきたならば、大きく舵を切ってその配分を抜本的に変えた方が、幸福度は増すだろう。


私はというと、今現在、人生の満足度のバランスはやや崩れがちに思う。


仕事の負担を軽くしたり、交友関係を絞ったり、いつでも好きに振る舞える環境こそ整えたが、まだまだ将来不安によって動いたり他人の都合に合わせて予定を入れてしまい、自分を大事にできてない、苦しいなと感じることが多い。

これに気づけるようになっただけでも大きな進歩なのだが...。


まぁ、実際にやってみないと「これは大して楽しくないな」とか「やってられんわ」「あっちの方が優先順位高いな」なんてことが分からなかったりもするので、これも1つの実験データととらえればいいのかもしれない。

すぐバランスの配分変更ができる「人生の投資家」を目指そう

f:id:haruka-sato-chf:20170927124514j:plain

ライフステージやそのときの状況、興味の変化に応じて心地いいバランスは変わってくるもの。

一番幸せなのは「なんか嫌だな」とか「もっとこうしたいな♪」と思ったときに、その都度その都度スピーディーにバランスを修正してすぐ最適な状態に戻せることなのかもしれない。


そのために大切なのは、なるべくしがらみとなるような余計な荷物を持たず身軽でいること、あとは移動しやすいポータブルスキルを身につけておくことだろうか。


今からでもできることはたくさんあるし、この瞬間から選択の基準を変えることはできる。

荷物を降ろしたりスキルを磨くって道筋は意識しつつ、今この瞬間から「めんどくさいな」と思うことをどんどんやめてって「こうしたいな」「楽しいな」と思う物事を人生に増やしていきたい。


一瞬一瞬を後悔しないように生きる。その選択が積み重なったものが人生だから。

会いたいから会う、やりたいからやる

こないだ行ったお店でかかってた曲の歌詞が「会いたいから会うんだ~」みたいな内容で、たしかに基本はそこだよね!と膝を打った。


会ってて楽しい人に会いたいから会う。やってて楽しいことをやりたいからする。何かに誘われたとき、楽しそうだからjoinする。

そして、自分の時間も大切にしたいから、上記のことも会いたい・やりたいときにすればいい。(下ネタではない)


その基本原則があってこと、人生の最適配分というものが活きてくる。


これから先の人生、ラクに楽しく幸せに生きていきたいなら、先に自分がラクに楽しく幸せになって、最適なバランスで生きてみる。


そうすると、その最適なバランスのライフスタイルや、自分の興味関心に合った人たちと出会っていくようになる。


だから、血眼になって焦って何かを外に探していくのはやめて、まずは小さな自分一人単体の世界の中で幸せのカタチを追求して、毎日世界に感謝してHAPPYに生きていきたい。


今この瞬間から、まずは今週から、会いたい人に会って、自分のために時間を使って、幸せな週末を過ごしたい。

来週には、充実感に満ち溢れた報告ができますように♪

厄年×大殺界だけど、とくに大きな問題なく過ごしてるのはなぜか?の分析

f:id:haruka-sato-chf:20170913134042j:plain

私の手相には「島」というものがあって、おそらく26-8歳くらいから何年か停滞時期が続くという相になっている。

panacee.tesomi.com

何人かに手相を見てもらったとき「もうツラい時期は終わってるよ」という人もいれば、「まだあと少し続くかも」と言う人もいた。


とりたてて悪いこともないが、まだ少し本調子じゃないというか「抜け切れてない」感があるので、これっていつまで続くのだろうと占いをかじってる知人に聞いてみた。


自分でもネットで検索しながら手相の長さを測りつつ、知人とも一緒に掌を見たところ、抜け切るのは34歳か35歳あたりかといったところ。

まだしばらく時間がかかりそうだ。

すべての問題が2017年に集結していた

その後、突然何かを察知したのか、知人は「もしかして、大殺界じゃない?」と私の誕生日を計算し始めた。


すると、見事大殺界のど真ん中!w

しかも、月の運勢も9月が一番最悪で、大殺界ど真ん中「停止」。

さらに、今年は厄年のど真ん中でもある本厄。


手相の「島」だけじゃなく、そもそも厄年と大殺界も重なっていて、物事がスムーズに進まないのはやむなしといった感じだ。


てか、そんな酷い運気だったのに、特に大きな不運にも見舞われてないのが逆にすごい!となり、なんで厄年×大殺界をうまいこと潜り抜けられてるのかを考察してみることにした。

古い自分を殺す時期

大殺界は自分らしさを失う時期と言われており、「自分らしく振る舞わない」ことが不運を避けるコツらしい。

私はこれを素で実行していて、この1年はとくに「古い自分を殺す」「再生」「生まれ変わり」「偽りの自立の皮を脱ぐ」みたいなところを心がけていた。


というか、まわりから隔離された環境が増えあまり話す人がいなくなったり、友人たちのライフステージが変わって予定が合わなくなったり...というようなことが重なって、これまでの明るかったりハイテンションな自分を出す機会が強制的にほぼなくなった。


加えて、初対面の人の前でその「今までの自分らしさ」を出すと敬遠されるようなことも多く、大殺界1年目の時点で早々と路線変更した。


最近では、むしろ積極的に、今まで積み過ぎていた「社交アプリ」をアンインストールして、どんどんマイペースな性格になってきている。


「自分らしさ」を出すことにこだわっていた時期はたしかに苦しかったけれど、切り替えて一人の時間を楽しむようになってからは、平穏な日々を過ごしている。

頑張らない・休むをテーマにしていた

大殺界1年目から心理学を勉強し始め、今までのやり方を手放す時期が来ていることに気づいた。


「頑張る」とか「努力すれば報われる」という考えに縛られ過ぎてすべてが義務感と犠牲の上に成り立ち、燃え尽きた状態になっていたからだ。


脅迫概念のごとく頑張って自身の嫌悪する部分を穴埋めをしようとしていたので、いつまでも自己肯定感が上がらず「努力したり肩書きや結果がないと価値のない自分」になってしまっていた。


人と比較して相対的に勝つことで安堵する「条件付きの自信」しかなく、努力や結果を出すこと、まわりからの評価でしか安心感が得られず、日々過度な気遣いや過剰サービスでヘトヘトになり、ただ存在してるだけの「あるがままの自分」を認める「真の自信」は身についていなかった。


なので、あえて「頑張らない」「脅迫概念で動かぬよう現状維持」を意識し、条件付きの「偽りの自信」を身につけるような行動に出ないよう、意図的にふにゃふにゃな自分のままでいることにした。


それが知らず知らずのうちに、下手に動くことが仇になる厄年や大殺界対策になっていたのだ。

物事の進みが遅くても、焦ってない

この1-2年で新しく始めたこともいくつかあったが、大事に長期的に取り組みたいことほど焦らなかった。


そして、なんとなくゆったりと楽しみながらチャレンジしたいような気分だったので、その感覚に従ってあまり意気込みすぎず過ごした。

最初から準備期間と割り切ってる

最近は「今は少しづつ変化を起こして現状を変えていってる過渡期だから、完全に殻を破り蛹から出て蝶になったときに慌てないように、準備をしておこう」と思うようになった。


忙しくなるとタイムマネジメントも重要になってくるので、余裕のある今のうちに服を買い足しておいたり、骨格診断やカラー診断で自分を魅力的に見せる方法を知っておこうとか、イメチェンして今の30代の自分に似合う髪型を模索していこうとか。


あとは、素敵な人にバッタリ出会ったときのために、外見だけでなく内面も磨いて、以前の自分よりもアップデートしたコミュニケーションが取れるようになりたい。


これらの野望があるので、今の時期の失敗はある程度割り切って「参考材料」として来るべきときのための実験データと捉えている。

データは着々と溜まってきたので、日々PDCAを回して生まれ変わっていく。


おまけ
上記では一般的に誰にでも通用しそうな項目を集めてみたが、自分個人の特殊事情で難を逃れた(?)部分もあったので、一応記載しておく。

小殺界・中殺界の時期が酷すぎた

大殺界の他にも、ちょい運気が下がる小殺界・中殺界というものがあるんだけど、過去を振り返ったらこの時期がどちらも酷すぎて(とくに小殺界)こっちで苦労しすぎて大殺界は大したことない感じで過ぎ去ろうとしてるんじゃないかという風に思えてきた。


小殺界のときは、残念な部署に異動して、パワハラによって会社の先輩が休職し、マトモな人が抜けた状態でパソコンが使えないおじさんたちの世話をするのに疲れ果て、10種類くらいの病気にかかった。


体調不良で風邪気味の状態で、ストレス発散のために飲んでカラオケで叫んだら、声帯ポリープができて入院もした。


中殺界のときは、90歳の大往生だがおじいちゃんが亡くなった。

今までの人生が波乱万丈すぎて、小さな不運をスルーしてる

文章にしてるうちに気づいたんだけど、ツラいこと、それなりにあったかもしれないwww

ただ、小殺界・中殺界を始めとしたこれまでの人生が波乱万丈すぎて、不運を不運と思っておらずスルーしてるようだ。


あとは、過去の停滞してたときの経験から、ちょっとでもうまくいかないと思ったらすぐにやり方を変えたり、変に流れに抗わず身を任せるという「身の振り方」を心得、事態が小さいうちに対策できていたのかもしれない。


いずれにせよ、人生には必ず「冬」の時期がある。

冬って大抵種まいたり何かの準備をしたり、動いてもうまくいかなそうだったら止まったり...そんな風にしてるうちに気づけば過ぎ去ってる。

そして同時に、「流れキてるわ~!!」と何をやってもスイスイ物事が進んで人脈が広がる時期もある。


人生の目的は「自己実現」。

自己実現とは、本来の自分の姿に戻っていくこと。


本来の自分に戻るためには、過去の自分を殺し古い鎧を脱ぎ捨てて、身軽になっていくことが必要だ。

冬の時期は、そんな再生のために充てられる通過儀礼だと思えば、悪いものではない。



P.S.

にしても、星占術では射手座、六星占術では金星人(-)って、私はどんだけマイペースな自由人なんだw

中学生~26歳までは「自分は決められたレールの上に従って生きていく人間だ」と信じて疑わず、射手座の性格の解説を読むたびに「嘘ばっか」と呆れてたけど、ここにきてあながち間違ってないかもwと思う今日この頃。

空気より軽い「ヘリウム族」に憧れて、チャラ男みたいなノリになった話

f:id:haruka-sato-chf:20170912131101j:plain

最近の記事で、コンプレックスを克服するために目標とするペルソナを設定し、そのペルソナの要素を持つ人たちをベンチマーキングしてトレースしまくってたら仮面が外れなくなった話をした。

意識高い用語満載で失礼。こじらせてるもので。


今回は、そのペルソナを強化するキッカケとなった、多大な魅力と影響力を持つお兄様たちの話をしよう。

www.clear-scent.com

www.clear-scent.com

www.clear-scent.com


高校デビューに失敗した痛手を負った私は、上記のキャラ設定によって無事大学デビューを果たすことに成功した。


それはもう、大学以降に出会った人は皆、私のことを自由奔放な家庭で育った元ヤンだと信じて疑わなかった。


とあるバンドサークルの新歓コンパで、そんなチャラついて世慣れした(キャラを演じている)私に声を掛けてきたのが、サークル内で「ヘリウム族」と呼ばれてる先輩方だ。


なぜ彼らがヘリウム族と呼ばれてるかというと、遊び人すぎて空気より軽いから。
そのネーミングの時点ですでにイケてると、彼らを前に目を輝かせた。


私の行っていた高校は大学附属で、男性陣は育ちの良さそうな小金持ちのお坊っちゃんばかり。


当時、大人しくて優しい男性陣にあまり魅力を感じず(今はそんなことないです、すみませんでした)、カッコよくてイケててぶっ飛んでる人たちに憧れがあった私にとって、ヘリウム族はとても魅力的に映った。


新歓後、見た目が派手だったからか、友人と私はヘリウム族に呼び出され、一緒に二次会をした。


そしてなぜかその場でバンドを結成し、新入生なのに新歓ライブに出て歌う(友達はキーボード)ことになったw


そこからは、バンド練習や飲みなどで、ちらほらヘリウム族と遊んだりした。


バイクで夜の多摩の街をギター背負って走ったり、ヘリウム先輩のめちゃくちゃな車運転や斜めに曲がった駐車に笑ったり、ヘリウム先輩たちの過去の武勇伝を聞いたりしながら「ぶっ飛んでる〜!」とwktkした。


ヘリウム族たちは、人を惹き付ける魅力に満ち溢れてて、これまで厳しい家庭環境で箱入り娘的に生きてきた世間知らずの私が知らないことをたくさん知っていた。


ヘリウム族とつるむに相応しい女になって、つねにぶっ飛んだ人たちに囲まれた愉快な青春を送りたかった。


自分もヘリウム女になれば、ぶっ飛んだ人たちといつも一緒にいれる気がして、何を血迷ったか、ヘリウム族のお兄様方の喋り方や仕草などもインストールし始めたwww


そして…

1ヶ月後には「ハンパない!」「ぶっ飛んでる!」「FUCK!」などを連呼するチャラいノリのギャルになっていた。


なるべくボキャブラリーを減らすことで悩みがなさそうで人生楽しんでいる感じを演出したが、それが薄っぺらさに拍車をかけた。


予定どおり新入生なのに新歓ライブのステージに立った後、ヘリウム族との交流はあまりなくなった。


「俺ら全員2年生!」と言っていた彼らは、実は4年生または留年中の5年生で、すでに全員サークルを引退していたのだ。


ヘリウム族とかかわりがなくなったあとも、あの刹那の楽しさの味をしめてしまい、ヘリウム族の面影をずっと追い続けてる自分がいる。


「ぶっ飛んだ人がいる」と聞けばはりきって飲み会に行くし、大勢男性陣がいたら、仲良くなるのは大抵ハイテンションな奴らだ。


ただ、朝型の私は彼らと同じペースで遊ぶと体を壊すし、最近はめっぽう気疲れしやすくなり自分を偽れなくなってきたので、そろそろヘリウムアプリもアンインストールするときがきた。


長年私の交友関係やコミュ力、ぶっ飛んだ人とのコネクションづくりに一役買ってくれたヘリウムアプリには、感謝してもしきれない。


また、これからもぶっ飛んだ人たちや遊び人たちと出会い、元ヘリウムアプリ保持者としてシンパシーを感じることもあるだろう。


そのときはヘリウム女(を演じた表面的なノリ)としてではなく、まったく違うタイプの人間として「一見かけ離れたタイプに見えるけど、根っこでは意外と共感できる部分あるね」とほくそ笑みたい。


そう、心の奥をさらせば、あらゆる人に親近感を感じることができるのだから。

「習慣によってできた性格」は変えられる。変えられるもの・変えられないものをハッキリさせると楽になる。

f:id:haruka-sato-chf:20170905142922j:plain

人の性格の構造というものをネットで調べてみた。

一人の人間の性格は4つの層から成り立っている。


①気質
その人の中心の核となる本質を覆うようにできた部分。本能的・体質的なもので、先天的な遺伝の要素がつよい。


②人格(狭義の性格)
①の気質・体質を覆うようにしてできた部分。生まれてから3歳くらいまでの養育者(主に母親)との関係性にも影響を受ける。


③習慣的性格
②を覆うようにしてできた、日常の言動・表現として習慣化してる部分。他人から見たその人の性格として分かりやすく、本人もある程度自覚しているもの。家庭環境や学校、社会など後天的な環境の影響を受けやすい。


④役割性格
③を覆うようにしてできた、社会での役割に応じて作られる性格。その場その場の対応によって付け替え可能なもの。ペルソナともいう。


役割性格が定着しすぎて取り外しができなくなってしまったというシチュエーションは、意識して役割を演じてる④の状態から潜在意識・無意識の方にまで押し込まれて、③の習慣的性格の方にまで侵食してしまった状態だろう。


なんらかのトラウマや大きなハートブレイクが元になっているはずだ。


また、いわゆる機能不全家族で育った子どもが抱えこむトラウマは、②人格(狭義の性格)ではなく③習慣的性格にその影響が反映されることがほとんどらしい。


三つ子の魂百までと言われるように、②の「人格」を変えていくことは非常に難しいようだけれど、③習慣的性格だったら変えていくことが可能で、生きづらさを解消していくことはできるようだ。


わたしもいわゆる「機能不全家族」で育ったアダルトチルドレンだが、ドラマに出てきそうなほどそこまで破滅的に家庭環境が酷かったというわけでもない。


そこまで酷い状況でなく、「あんまりよくない家庭環境」くらいの状況でも、①気質が敏感だったり感受性がつよいことで、必要以上に影響を受けてしまうことはあるらしい。

だから、同じ環境にいてもトラウマになってこじらせる人と、大変だったわりには前向きにひょうひょうと生きてる人に分かれるのだ。


私はどうやら気質の影響を受けて「習慣的性格」の生きづらい考え方がかなり強化されてしまっているけれど、母親との関係がよかったし愛されて育った記憶があるので、②の「人格」の部分がそこまで傷ついてなさそうなのが不幸中の幸いだ。


もう、この性格はどうにもならないのではないか。今から人生を生きやすく変容させていくのは到底難しいのではないかと悲観的になったりもしたけれど、わたしが自分を守るために身につけた鎧は「習慣的性格」だということがわかったので、自分の意思次第でどうにでもなるのだ、というところには勇気をもらった。


ネガティブだったり過度に敏感なのは気質だから変えられないけど、「単におっとりしてマイペースなだけでとくにこじらせてはいない人」くらいの段階にはもっていくことができるかもしれない。


そんな感じで、お腹が空いたのでこれから昼食の残りを食べます。

日常のささいなラッキーは、進むべき道を示すサイン

f:id:haruka-sato-chf:20170804173716j:plain

腰が重く、人との交流を最小限に絞り、意思表示をハッキリして、なるべく予定を入れず、自分個人の時間を優先する。


そんな風に過ごし始めて、さすがにやりすぎかな?本当にこのままでいいのか?もう一生誰かに会いたいと思うことはないんじゃないか?
そんな一抹の不安がよぎり始めた。

www.clear-scent.com


そんな少々モヤっとした気持ちでバスに乗り込むと、目の前にひとりのおばあさんが座っていた。

私はリュックを体の前方に抱き、片手にショップ袋を持った状態でおばあさんの座席の前に立った。


するとおばあさんが「バック、どうぞここに置いて」と自分の荷物を少し避け、荷台にスペースを空けてくれた。


いえいえ大丈夫ですと最初は断ったが、「いいからいいから」と何度も言ってもらい、お言葉に甘えて置かせてもらうことにした。


すると、おばあさんは鞄の中からゴソゴソと何かを探している様子。

その後、鞄の中からフックを取り出し、目の前の取っ手に引っ掛け、ショップ袋の方もそこに掛けてもらえることになった。


本当にいたせり尽くせりで、おばあちゃんちに遊びに行ったような気分になり、思わず涙が出そうになった。


ここ最近、自分の気分や心地よさを優先してきたことで、心の余裕のようなものは生まれてきてた。

けど一方で、人としてどうなんだろう?と思う場面も個人的には多々あった。


だけど、今日おばあさんと会ったことで、自分に優しくしたから人に丁寧に扱ってもらったんだ、このままでいいのだと思えるようになった。


向かってる方向が果たして合ってるのかどうか。

迷うときは大体、日常の中に小さなサインが見つかる。

注意してよく目を凝らしていると「あれのご褒美はこれだったのか」と気づくことがある。


今回のような出来事は、このまま進んでよしのサイン。

しばらくこのまま、行けるとこまで行ってみることとしよう。

分かりやすい人間になる!好き・嫌い・得意・不得意を周りに知ってもらうための心がけ

f:id:haruka-sato-chf:20170815170906j:plain

こんなことには興味があって、こんなことには興味がない。このようなシチュエーションは苦手だけど、このようなシチュエーションだったら喜んで貢献できる。


そういう自分の好き嫌い、得意不得意は、意外とまわりに知られてるようで、知られてない。


普段から言いたい放題自己主張するスタイルで生きてる人は「あいつはああいうヤツだから」と若干諦めにも似たキャラが確立がされてるかもしれない。


けど、なるべく人に合わせ協調性を発揮して生きてきた人は、自分がそこまで好きじゃないものを好きだと思われていたり、本来の姿とはちょっと違うイメージを持たれてる可能性が高い。


私は、俄然後者。

だから、あまり好き嫌い・得意不得意は周りに把握されてなくて、超絶苦手で私がやったら損失しか出なそうなことを依頼されて「なぜ?」と思ったり、あまり得意じゃないシチュエーションのお誘いを受けることはチラホラある。


だから最近は、せめて分かってもらうための努力をしようと思うようになり、ハッキリとできる・できない、乗り気・乗り気じゃないを表明するようにした。


「わかりやすい人でいること」には、周りにも自分にもメリットがある。

意思表示をし続けることによって、周りは「あいつはこれが苦手だから、他の人に頼んでみよう」ともっと喜んでアサインしてくれる人を見つける機会を得るし、ニーズが明確になることで誘ったり誘わなかったりの判断もしやすくなる。


ハッキリ言わず曖昧な理由で断り断られを続けて消耗戦をくり返さなくて済むし、あなたのことが嫌なのではなく、ただ私はそれができないのだ、と変な誤解を避け本意を伝えることができる。


また、低いモチベーションで何かを行うとその場のエネルギーが下がるので、乗り気なものだけに参加した方が、ワクワクしたエネルギーで空間が満たされ、シナジーも生まれやすい。


だから、人間関係をムリなく良好に継続するための近道は、自分はどんな人間か、何に喜び何に興味があり、何を嫌がり何を苦手とするかを知ってもらうことなのではないかと思う。


お互いの趣味嗜好を尊重しつつ、交わるところで一緒に楽しむ。そんな関係を築いていけたらいいな。

モラハラ撃退のコツは「怠惰なめんどくさがり屋」具合を発揮すること

f:id:haruka-sato-chf:20170814152346j:plain

私は、かなり怠惰でめんどくさがりな性格だ。


好きなこと以外頑張る気もないし、スケジュール帳に予定が少ないとテンションが上がる。

気分もすぐコロコロ変わるので、その時その時のベストチョイスで動きたい。


結構だらしない人間だということは、前々から薄々感づいていたけど、玉ねぎの皮が剥けてきた関係で、余計にそれが強化された感がある。

www.clear-scent.com


そんな怠惰でめんどくさがり屋な性格は、生まれながらのものだと思う。

けど、おそらく幼少期に人からマイペースだとか、ワガママで協調性がないと指摘されたのか、自分の持ちうる全精力を使って、頑張ってそれらを隠してきた。


人に合わせ、従い、同調し、顔色を伺い...。

数年前までずっとそうやって生きてきたのだが、二回ほどうつをやって体力がなくなったのか、それともただ単に歳をとったのか、頑張って人に合わせることに労力を割いてると疲労から日常生活が回らなくなってきたので、ここで以上終了とした。


とりあえず疲れ果てて燃え尽きてしまったので、もう私は人に合わせてどーこーすることはムリだろう。

体力温存のため、モラハラ回避センサー発動

怠惰な自分に戻って一番よかったのが、モラハラな人と関わる気力がないので、最初から避けるようになったこと。

www.clear-scent.com


とにかくよっぽど興味のあること以外は腰が重いので、偽善や付き合いで動くことが難しい。

エネルギーを浪費しそうな場も、パッと直感でわかるようになり、体力の温存を優先している。


いい意味でも悪い意味でも「使いづらい」厄介な人間になってしまったので、きっと誰かを利用したり思い通りに動いて欲しいと思ってる人は、「もう、なんかコイツめんどくさい!」と向こうから去っていくだろうw

そして、もっと使い勝手がよくて従順な人を探しに行くだろう。


以前は、「ダルい」「めんどくさい」「寝たい」みたいなどーでもいい理由や個人的な感情を優先することにものすごく罪悪感があったが、罪悪感以前に体が動かないからしょうがない。


どーでもいい理由を優先したり、気分で動けるようになることも、きっと「自分を大事にすること」や「自己肯定感」とやらの一部なのだろう。


では、私は眠いので、これを読んでるモラハラのみなさんと従順な羊さん、さようなら。